放送作家の高須光聖さんがゲストの方と空想し、勝手に企画を提案する『空想メディア』。
社会の第一線で活躍されている多種多様なゲストの「生き方や働き方」「今興味があること」を掘り下げながら「キャリアの転機」にも迫ります。
今回のゲストは、アーティストの相場慎吾さんです。大学卒業後にデザイナーを目指し、サンローラン(SAINT LAURENT)のデザイナーにまで上り詰めた相場さん。その成功は、計算し尽くされた相場さんの人生設計の成果でした。夢を追うすべての人に読んでほしい、相場さんのサクセスストーリーをご覧ください。
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相場 慎吾(あいば・しんご) 元サンローラン(SAINT LAURENT)デザイナー。現在はクリエイティブディレクション・デザイン・写真・ファッションなど幅広く手掛けるアーティストとして活動。
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高須 光聖(たかす・みつよし) 放送作家、脚本家、ラジオパーソナリティーなど多岐にわたって活動。
中学時代からの友人だったダウンタウン松本人志に誘われ24歳で放送作家デビュー。
海外生活にあこがれデザイナー志望に。大学卒業から始まった夢への人生設計
高須:もともとファッション関係のお仕事をされていたじゃないですか。そもそもファッションが大好きだったんですか?
相場:ファッションは…こう言ってはなんですが、消去法で選んだ、というのが結構大きかったです(笑)。
高須:本当に? 消去法で決定って、どうやってそこに至ったの?
相場:就活を意識した際に、自分がやってみたい仕事や就職してみたいと思う会社が見つからなくて。ただそれよりも海外に行きたい、海外で暮らしてみたいっていう気持ちが大きくなってしまって。
高須:じゃあ海外で暮らしてみたいから、(海外で働ける職業は)何があるかなって考えたときに、「ファッションだ」ってなったんですか?
相場:そうですね。自分のルーツに目を向けた際に、両親がファッション関係の仕事をしていたこともあり「ファッションならいけるかも」と。
高須:どうやって海外へ行くことになるんですか?
相場:どうすればファッションで海外に行けるんだろうと考えて、たどり着いたのがデザイナーという職業でした。それならパリ、ロンドン、ミラノ、ニューヨークなど、いろんな街や国にも行けますし、クリエイティブなことを考えるのも好きだったので「それだ!」って感じでした。
高須:そこからどうするんですか?
相場:まずは「デザイナーはどうしたらなれるんだ?」みたいなところからですね(笑)。
高須:全然ノウハウないわけでしょ? ゼロでしょ?
相場:ないです、ないです。ゼロです。
高須:まったく関係ないものをやろうとしたんですね。
相場:そうですね。
「人生一度きり、自分がやりたいと思ったならやるべき」大学を卒業し、専門学校へ
高須:本来なら服飾関係の学校に行ったりするじゃないですか。一切することなく?
相場:まずそれを調べるところからなんですよね。どのようなプロセスでデザイナーになれるのか調べた際に、日本のアパレル企業を例にすると、大卒からでは専門職のデザイナーには応募できず、販売職や総合職にしか就けないみたいで。
高須:違うなって思いますよね。
相場:(募集要項に)専門学校の在籍期間が3年くらい必要とも書いてあって。「あぁ、ダメだ。終わった」って思ったんですけど、少し考えて、「じゃあ専門学校行くか」みたいな。
高須:そこから?
相場:行きましたね。もちろん葛藤はありましたよ。「みんなが大学卒業して社会に出て行くのに、また学生生活に戻るのか」みたいな。
高須:ね。また学生だよね。
相場:はい。ただきっかけとして、そのとき知り合ったイタリア人の友達は「日本で漫画家になりたい」と親に内緒で大学とか全部辞めて来てしまったんです。本来ならあまり褒められた話ではないんですが、世の中こういう人もいるのか、とただただ衝撃で。それに比べたら、どうして「もう一度学校に行くことぐらいで悩んでたんだろう」って思えたんです。それで、「人生一度しかないんだし、自分がやりたいと思ったならやるべき」と決断しました。
高須:お金がいるじゃないですか。それもご両親にまた言わなきゃいけないじゃないですか。
相場:それは自分で解決するしかないと思って、奨学金で文化服装学院という山本耀司(※1)さんらが卒業されている学校に入学しました。
(※1)日本のファッションデザイナー。プレタポルテブランドの『ヨウジヤマモト』を展開
目標を立ててから逆算する。綿密に計算された“ビッグメゾン入社計画”
相場:人生設計はいつも最初に目標を立てて、そこから逆算していくんですけど。「海外でファッションをやるなら、やっぱりヨーロッパ」みたいなイメージがあったので、唐突にパリかなって。そこしか知らなかったんで(笑)。
高須:ぼくも思います。パリかな、やっぱ。
相場:じゃあ、パリのビックメゾン(※2)に入るぞと思ったものの、当時はシャネル(CHANEL)、サンローラン(SAINT LAURENT)、ジバンシー(GIVENCHY)くらいしか知らなかったので、そのどれかで働きたいと思って動いていました。そこに入るには今の自分ではまだまだ遠いから、何が足りないかを常に考えて、ひたすらそれに対してトライアンドエラーで距離を詰めていくような作業の繰り返しでした。「こういうことをやったらビッグメゾンに行けるスキルとか得られるんじゃないか」ってずっと試行錯誤していました。その一環でコンテストに応募したりもしていました。
(※2)歴史ある高級ブランド。ラグジュアリーブランドともいわれる
高須:そのコンテストってどういうものなんですか?
相場:グランプリや特選をとれたら、海外からオファーが来て、留学できるかもしれないといったものでした。
高須:それは学校がお金を出して行かせてくれるの?
相場:生活費は自分持ちで、(留学先の)学費がタダになるって感じですね。
高須:じゃあ、それも通ったの?
相場:そうですね(笑)。結果的には。
高須:すげぇ。
相場:もともと日本の専門学校にも奨学金で行っているので、海外に行くお金なんかないじゃないですか。もう呼んでもらうしかないと思って。
高須:でもそう簡単に呼んでもらえるような位置にはなられへんからね。
相場:そうですね。そこもやっぱりいろいろ計算はしましたね。
高須:それはどういうものが認められるのか、どういうものが受賞しやすいのかっていうのを逆算した?
相場:逆算もしましたし、その対策を自分なりに練って。
高須:すごいね。
相場:やっぱりコンテストって人が見るものじゃないですか。審査員がいてそれぞれ趣味嗜好が表れるんですよね。
高須:絶対あるよね。
相場:幸い自分のときは(審査員が)5年くらい変わっていなかったんですよ。その人が毎年どういうものを選んでいるのか。それまでの受賞作品を全部並べて、共通項はなんだろうって考えて。ある程度自分の中でキーワードが出てきたら「じゃあこれを踏まえた上でいちばん自分っぽい、面白いと思えるものをやってみよう」みたいな。それで自分なりに作っていった感じですね。
そしてパリへ。結果を出すために動き回った焦燥の日々
高須:フランスには何年いたんですか?
相場:トータルで10年いました。
高須:うわ、そんなにいらっしゃったんですね。向こうの学校のカリキュラムは何年の予定やったんですか?
相場:本当は2年なんですけど、コンテストの特待生特典は1年だけなので、次の年は考えていませんでした。仕事を見つけに来たのに、お金を払ってまでもう学校行きたくないなと思っていましたので。
高須:それでどうしたんですか?
相場:1年経って中退しました。日本の専門学校を卒業しているのでインターン先を探し始めました。フランスには新卒制度がないので、そこからスタートなんです。
高須:そっか。じゃあ就活するだけですね、普通にね。
相場:そうですね。ただウェブとかで募集しているわけではないので、自分で履歴書を郵送やメールで送ったり、誰か知り合いがいたら渡してほしいみたいな感じで、手を変え品を変え、毎日どこかしらに送っていました。
高須:目に留まらないとダメですよね。まずね。
相場:そうですね。学生の数もめちゃくちゃ多いので、人一倍やらなきゃいけないし、人一倍良いものを送らないと。
ニーズを読み取り感性を乗せる。天才タイプではないから身についた対話という戦略
高須:履歴書をいろんなところに送って、どこの人が目をつけてくれたんですか?
相場:最初はキャシャレル(CACHAREL)ってブランドから「半年間やってみないか」って言われて。ただ面白かったのは、そのときポートフォリオは黒服のデザインばかりだったんですけど、そのブランドはベージュ基調で花柄なんですよ。
高須:全然違うやん! よくそれで選んでくれましたね。
相場:そうなんです(笑)。「なんでぼくを選んでくれたんですか?」って聞いたら「うちっぽいから」って言われて。花もベージュ入れてませんけども。
高須:「なんで“うちっぽい”と思ったんですか?」ですよね。
相場:今でも謎です。でも入れるところ(ブランド)が自分にとっては良いところだと思っていました。サンローランやシャネルに最終的にたどり着ければ良かったので。最初は本当に雑用みたいな感じでしたね。
高須:キャシャレルでは自分でデザインはされたんですか?
相場:自分の名前が出るわけではないんですけど。「こういう形はどう?」って上のデザイナーに見せて。それをさらにクリエイティブディレクターに見せて。最終的にはまったく違う形になることもあるんですけど、ベースは自分で出せたぞ、みたいな。そういうある種の成功体験みたいなものが、自信をつけていくきっかけになったと思います。
高須:技術だけではないじゃないですか。そこにその人なりの感性であるとかカラーみたいなものを、出すわけでしょう?
相場:(自分は)根っからのアーティストや、天才タイプではないので。どういうものをやったらこの人は面白いと思うか。やっぱり人と人との対話だと思っています。
高須:なるほど。ちゃんと求められているものを狙っていくってことなんですね。
相場:そうですね。狙って、かつそこに自分の色だったり感性とかを乗せていく感じでした。
不採用に納得せず再応募。築いてきた自信が導いた夢のサンローラン入社
相場:キャシャレルのインターンは半年の契約で、ポジションが空いたら就労ビザを貰えて働けたんですけど、ポジションが空かなかったんです。仕方ないのでこの経験を活かして次に行こうと思って。また履歴書や資料を作り直して、ほうぼうに送っていたら、クロエ(Chloe)というブランドから連絡が来て。
高須:おお、すごい。
相場:留守電に入っていたから、「おぉ!クロエ来たぁー! すぐ返事しなきゃ!!」と思ったんですけど、その矢先で止まってしまって。「待てよ…クロエってベージュだよな?」みたいな(笑)。
高須:ああ、ああ。
相場:また可愛いイメージじゃないかって。もうそのころには、サンローランのような黒を基調としたスタイルを確立していたので。「また行くのは違うかな」と思い、そっと電話を置いてしまいました。
高須:止まっちゃったんですか。
相場:「やっぱり違うよな」と思って、返せなかったんですよ。それから1カ月ぐらい後に、現在セリーヌ(CELINE)でクリエイティブディレクターを務めているエディ・スリマンが、サンローランのクリエイティブディレクターに就任するという一報が流れました。クリエイティブディレクターが変わるとブランドやデザインの方向性が一新、それに伴いデザイナーも移籍するのでポストに空きが出るんですよね。なので、日本の誰もが知っている「そこ」に、「サンローラン」に入れたら、と思いました。。
高須:ご自身も好きだったんですよね?
相場:そうですね。学生のときに入りたいと思い描いていたブランドの一つでした。
高須:「ここだなぁ~」。
相場:…って思いました。
高須:思いますよね。で、応募して。
相場:2回応募したんですよ。1回目は人事に出したんですけど、「あなたのレベルではうちで働けません」みたいに言われて。
高須:ええー!
相場:ていねいに書いてあったんですけど、「何を言っているのか意味が分からない」みたいな感じになっちゃったんですね(笑)。パリの専門学校時代、サンローランでのインターンを経験していた学生のレベルも知っていたので余計に。「いやいや、ちょっと待て」と思って、今度は宛先をデザインチームに変えて出したら、すぐ「面接しませんか」って返事が来て。
高須:ちゃんとクリエイティブな人の目に留まったんですね。人事じゃなくて。で、そこにハマってやっと行けて。
相場:面接のときに、両手に資料を抱えて持っていったんですよ。何を聞かれても対応できるように想定しつつ、フランスの学校で作った服や、新しいポートフォリオもブックも全部。「大荷物で来たわね」ってびっくりされたんですけど、ちょっと笑わせながらも面接の空気をつくったり。それらをテーブルに全部並べて、一個一個説明して。最初は「うんうん」って聞いてくれていたんですけど、途中から顔色が変わって。めっちゃまじめになったなと思ったら、資料のうちの一冊が、ちょうどエディ・スリマンが最初のコレクションで発表する内容と酷似していたみたいで。「あなたみたいな人を探していた」みたいに言っていただけました。
高須:めっちゃめちゃいいじゃん!
相場:リップサービスかもしれないですけど、うれしかったですね。
高須:単純にうれしいもんね。
相場:「サンローランのクリエイティブディレクターと自分がやりたいことがかぶったんだ!」みたいな。
高須:なるほど。だって1回(クロエを)ステイさせてるからね。
相場:ステイっていうかスルーしてますからね(笑)。
高須:そうやんね。
相場:サンローラン引っかかってなかったらと思うとゾッとしますけどね。
高須:ね。日本に帰っているかもしれへんよね。
相場:そうですね。もう居酒屋とかで働こうと思ってましたもん。
高須:いやぁー、大変。人生大きく変わるね。
相場:本当に(笑)。
――あきらめず夢に向かった相場さんのサクセスストーリー、いかがでしたか? 次回も相場さんをゲストに、キャリアの転機や仕事の裏話などを語っていただきます。お楽しみに!
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