- 1998年から2000年にかけての時代の楠の活動は幅広い。普通の会社員やフリーランスの枠組みではとうてい語れない。
- インターネット総合研究所の社員のまま、日経BP社が発行していた電子マネー分野のニューズレター『日経デジタルマネー・システム』の編集記者をした。Linuxディストリビューション「Kondara MNU/Linux」の開発に関わった。ベンチャー企業の電脳隊およびP.I.M.(両社とも2000年にヤフーが買収)の事業企画に関わり、Webシングルサインオンのプロトコルを設計して特許を取得、BiglobeやDIONといった大手ISPとのID連携を実現した。オンラインバンキングと連動した決済サービスの事業開発を進めていたところでPIMはヤフーに買収されたが、引き続き構想を実現するため金融系システム構築プロジェクトにSEとして参加した。プロジェクトは無事カットオーバーまでは漕ぎ着けたがストレスで体重が10Kgほど増えてしまい、「SEからは足を洗う」ことを決意した。
- 楠は新技術の調査が得意だし、好きだった。
- 「自分の得意なことがあるとすると、早めに変化に気がついて、その意味を考えること。なおかつ、人に分かるように説明すること」
- 楠はこう説明する。楠はもともとジャーナリスト志望だった。大学に入学して最初に受けた仕事もライターの仕事だった。だがライターは専門性が高すぎると読者が減ってしまい、仕事にならないというジレンマがある。そこで楠は、コンサルティングの領域で自分を伸ばせないかと考えた。実際には、楠のキャリアはコンサルティングという分野にとうてい収まりきらない形で伸びていくことになる。
- 23歳のとき、子どもができて結婚した。家族のために住宅を買った。「まだ大学生でしたが住宅ローンの審査が通りました。インターネット総合研究所の職歴が3年あったから」。結婚して子どもができたことは「自分のキャリアに大きく影響していたと思う」と振り返る。子どものため、目の前の収入を確保しなければならないことは当然として、子どもが育っていく未来のことがどうしても頭に浮かぶようになる。
- 子どもは、男の子ばかり3人いる。激務が多かった楠が3人の子育てを続けられた理由を尋ねると「カミさんができた人、だったんでしょうね」とちょっと照れた様子で語るのだ。
- 2002年にマイクロソフト(現、日本マイクロソフト)に誘われて転職した。2人目の子どもができたことがきっかけの一つだ。商用インターネットの大波を乗り切ったマイクロソフトが、ブロードバンドの普及で深刻化しつつあったセキュリティにどう取り組むかの興味もあった。
- 当時、楠はインターネットやLinuxの分野でよく発言する人物として知られていた。Linuxのムーブメントとは競合する立場のマイクロソフトへの転身は、意外性を持って受け止められた。この当時のことを、
- 「“逆張り”の方がうまくいくと考えた」
- と楠は振り返る。「自分はもともと落ちこぼれ。人と違うことをやらないと、うまくいかない」。
- Linuxに詳しく、ネットワークエンジニアの文化が分かり、さらにWindowsベースのシステム構築も知っている自分がマイクロソフトで働くことで、世の中に今までなかった価値を提供できると考えたのだ。
- この頃、2000年代初頭の楠の活動として注目したいものがある。草の根のコミュニティにより無線IPネットワークを作り上げようとした「EMIP(Emergent Mobile Internet Platform)」プロジェクトだ。
- EMIPは、無線LAN端末を多数連携させることで、どこにいてもインターネットに無線LANで接続できる環境を整えようとした。当時はまだ携帯電話でのインターネット接続が高額で「パケ死」という言葉がよく使われていた。手軽に使える無線インターネット接続を待ち望む人々が多かったのだ。さらにNapsterやGnutellaといったP2P(ピア・ツー・ピア)ファイル共有の技術が注目を浴びていた。EMIPは、無線LAN端末同士がP2Pで連携し、大資本や大組織の助けがなくても、コミュニティの力で無線インターネット接続環境を提供できる環境を作ろうとするものだ。
- さらにEMIPではコミュニティ内のサービスもP2Pで再設計する構想を持っていた。帯域と交換する「地域通貨」の概念もその一つだ。今、P2Pのデジタル貨幣であるBitcoinが一部で注目を浴びつつあるが、楠らはもっと早い段階で、似たコンセプトを考えていたのだ。
- このEMIPはうまくいかずに終わった。「ふたを開けてみると、無線LANの周波数帯域が足りなかった。当時の無線LAN端末では、アドホック通信の性能やバッテリーの持ちも足りなかった」。無線LANが使う電波の周波数帯は国が管理する資源だ。端末の性能は技術で解決できても、周波数帯の問題は国に働きかけないと解決できない。
- 振り返ると、この時に楠が取り組んだものは「既存のITの問題点(モバイルインターネット接続が高価)を解決し、公共性があり、P2Pテクノロジーを使っていて、オープンに利用でき、国の政策(周波数帯割り当て)により実現可能性が変わるもの」だった。EMIPそのものは頓挫したが、その背後にある考え方は、その後の楠の一見バラバラにも見えるマルチな活動を結びつけて理解する上で興味深い。
- 楠は技術だけでなく政策への関心を持ち、そして公共性があるシステムに興味を持っていた。こうした関心が、やがて楠のキャリアに重大な転機をもたらすことになる。
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