掲載日:2014.4.21
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三年予測ートップリーダーと考えるエンジニアの未来ー

日本の競技プログラミングを世界水準に引き上げる

レッドコーダー 秋葉拓哉

1988年生まれ。25歳。高校2年生のときにプログラミングコンテスト「SuperCon」で準優勝、 「日本情報オリンピック」にて優勝を達成。それ以降プログラミングコンテストに精力的に参加し、 2012年に「ACM-ICPC」世界大会にて銅メダルを獲得。 プログラミングコンテスト向けアルゴリズム書『プログラミングコンテストチャレンジブック(第二版)』(マイナビ)が発売中。


自分がレッドコーダーになれると思っていなかった

秋葉拓哉は、最初は自分がレッドコーダーになれるとは思っていなかったそうだ。
レッドコーダーとは、約60万人がオンラインで参加するプログラミングコンテスト「TopCoder」での成績を示す数字「レーティング」が2200以上の挑戦者のことだ。プログラマの中でも一目置かれる存在である。
2007年に秋葉が大学に入りTopCoderの存在を知った頃、レッドコーダーは日本で4人しかいなかった。レッドコーダーは憧れで、手が届かない存在だと思っていた。
今の秋葉は、レッドコーダーのさらに上位、レーティング3000以上の「ターゲット」と呼ばれるグループの一員だ。2014年4月時点で、ターゲットは世界で19人しかいない。レーティングは最高3306まで到達したことがある。ランキングでは世界4位の地位にいた時期もある。
レーティングの数字は刻々と変化する。東京大学大学院の博士課程1年に在籍中の秋葉は「研究もしないといけないし、以前ほどコンテストに時間を取れなくなった」とぼやく。競技プログラミングの世界では挑戦者の低年齢化が進んでいる。自分よりも若い世代の台頭も感じている。
秋葉が特に誇りにしていることがある。コンテストの上位入賞者であるだけでなく、書籍『プログラミングコンテストチャレンジブック』を執筆することで、日本の競技プログラミングの水準を高めるのに貢献したことだ。
「今では、競技プログラミングに興味を持つ一部の高校生までもが、この本のテクニックをマスターしています。日本のプログラミングコンテスト挑戦者のレベル向上にはかなり貢献したと思います」

プログラミングの問題を解くことが日課

秋葉が競技プログラミングに打ち込んでいた時期、毎日自分に課していたことがある。競技プログラミングのための練習だ。出題された問題を読み込み、適切なアルゴリズムを考え、プログラミング言語で実装する。1日に10問以上の問題を解く日も少なくなかった。
秋葉は、日本の競技プログラミング人口が急増した、そのちょうど最初の世代にいると自覚している。競技プログラミング挑戦者のコミュニティが急成長するのと一緒に、秋葉も自らの実力を高めてきた。
「僕らの世代から、一気に競争がエスカレートしました。僕らの頃は、練習の方法も分からなかった。最初のうちはいい結果を残せなかった。それが、今では一部の高校生がコンテスト上位に食い込むようになりました」

高校時代に出会った競技プログラミングの世界

プログラミングと本格的に出会ったのは、中学校に入ってからだ。麻布学園のパソコン同好会で、先輩からC言語を教わった。
最初に競技プログラミングの世界と出会ったのは、2005年、高校2年の時だ。高校生を対象にスーパーコンピュータのプログラミングを競うSuperCon(Supercomputing Contest)の予選を通過し、東京工業大学のスーパーコンピュータでプログラムを走らせる競技に参加した。成績は準優勝(2位)だった。
それまで、秋葉はプログラミングに親しんではいたが、「C言語でプログラムを作れるようになってある程度満足してしまっていた」。この時期にプログラミングコンテストに参加したことは、秋葉にとって大きな転機になった。プログラミングコンテストでは、アルゴリズム、つまりプログラムの処理の根幹を成す部分が重視される。「これは自分のやりたいことに近い」。そう感じた。
初の世界大会で悔しい思いをする
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