- シャープ在籍中に、コンピュータサイエンス分野の名門校である米カーネギーメロン大学(CMU)に留学するチャンスが巡ってきた。冨田勝教授(当時カーネギーメロン大学自動翻訳研究所副所長、現在は慶應義塾大学先端生命科学研究所所長などを兼任)のもとで自然言語処理に取り組んだ。当時のシャープに留学制度はなかったが、なかば強引に留学のチャンスをもぎとった。
- CMU留学時で学んだ自然言語処理の知見は、その後開発した日本語入力に結びついているのだろうか。どうも、そうではないようだ。「実は全然、知見を生かしてない」と笑う。「留学して勉強したけど自然言語処理は自分には合わない。『あかんわ』と思った」。
- 自然言語処理や機械翻訳には長い研究の積み重ねがある。増井に言わせれば「頭がよくコツコツやる人が向いている」。一方、自分はどうかといえば「少ない労力でインパクトがある仕事、早く成果が出る分野が好き」と笑う。
- 留学してまで取り組んだ自然言語処理を切り捨てたことが、ある意味では後の業績につながった。通常の日本語入力方式では、日本語処理の知見を変換アルゴリズムに取り入れている。例えば入力した単語の品詞を判別し、言葉のつながりを考慮しながら変換していく。ところがPOBoxの予測変換は「品詞を全然見ていない」。「だから、日本語だけでなく、(プログラミング言語の)CでもJavaでも宇宙語でも大丈夫。逆に汎用性がある」。まさに逆転の発想である。自分に向いていないと見切った分野は切り捨て、得意分野でさっと発明品を作るスタイルが、POBoxの成功につながったのだ。
- 増井は、よく「発明」という言葉を使う。これは、高度化、組織化した研究開発への反発を表している言葉でもある。現代の研究開発の典型的なスタイルは、優秀な頭脳の持ち主を集め、組織的に研究開発に取り組み、その結果ほんの少しだけ最先端のスペックが向上するというものだ。増井のスタイルはそれとは正反対だ。今まで誰も見たことがない組み合わせを短い期間で作り上げるスタイルの成果物が多い。
- だが、いきなりゼロから何かを作り出しているのかといえば、そうではない。
- 「いつも考えています」と増井は言う。その様子を、次のようなエピソードで語る。「『釘十三本』というパズルが解けず、悔しい思いをしていた。それが寝ているときに急に正解が見えた」。パズルの話だけではない。研究のためのアイデアを、常に考え続けているのだ。
- 「発想法の本や、有名人のエピソードなどを見ると、だいたい『考え抜いた後、全く違うことをしていて気が抜けている時に、良いアイデアが出る』といったことが書いてあります。よく考えて、それから遊ぶ。どちらも大事です」。
- 2006年のある日、増井に大きなチャンスが巡ってきた。iPhoneの日本語入力の開発のため、Appleからスカウトされたのだ。当時AppleのCEOだった故スティーブ・ジョブズによる面接を受けた経験が増井のBlogに記されている。
- Appleから声がかかったときのエピソードは、実に増井らしい。
- 「いきなり電話がかかってきたんです。私はホームページに電話番号を載せていたから」。
- なぜ最初のコンタクトが電話だったかというと、実は電話の前にAppleからメールは届いていたのだが「spamフォルダに紛れこんでいて見ていなかった」からだ。「電話番号を載せていて良かった」と笑う。「よく電話番号を公開して変な電話がかかってきませんか、と聞かれることがありますが、一回もありません」。
- 増井はユーザインタフェースの研究者として多くの論文を発表し、名前が知られていた。ホームページを見れば、携帯電話に搭載された日本語入力方式の開発者だということも分かる。増井がチャンスをつかむ上で決定的な役割を果たしたのは、自分自身の研究成果をまとめたホームページと、そこに記載した電話番号だったのだ。
- Apple製品の開発に関わった増井だが、実はAppleが作るユーザインタフェースは満点とはいえないと感じている。iPhoneの「日本語キーボード」に使われている「フリック入力」にしても、「私はあまり良いとは思わない」と増井は公言する。「そもそも3×4段のガラケー的な配置が好きじゃない。50音を入力するなら、もっといい配置があるはずだ」。
- 実際、増井がAndroid向けに作った日本語入力ソフト「Slime」は、50音を効率よく少ないキーストロークで入力できるよう工夫してある。
- 高評価を得ているApple製品だろうと、自分の目から見て良くないものは良くないと言う。それが増井らしい所だ。
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