掲載日:2015.1.15
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三年予測ートップリーダーと考えるエンジニアの未来ー


ソフトは無料になり、ハードも利益ゼロに近づく

冒頭で紹介した郡山の悩みについて、話を戻したい。
2010年頃、郡山は社内に小さなチームを作ってBeaconの活用方法について技術開発を進めていた。技術的には自信を持っていたが、前述したようにビジネスモデルでは悩んでいた。
ソフトウェアを有償でライセンスするビジネスは終わっていく。一方、ハードウェアは誰でも作れる時代となった。デジタル技術が浸透しモジュール化が進み、試作や量産も外注できるようになったためだ。ソフトウェアは無料になり、ハードウェアの利益も限りなくゼロに近づいていく。ソフトウェアをインターネットサービスとして提供するビジネスは乗り換えが容易だ。つまり、ハードウェアだけ、ソフトウェアだけのビジネスは、本質的に難しい時代なのだ。

マイクロソフトでOS開発を手がけた後に独立

郡山の経歴を簡単に振り返ってみたい。起業したのは大学に在学中の1986年だ。その後、学生のままマイクロソフト(現在の日本マイクロソフト)の社員になった。当時のマイクロソフトは全世界で300人ほどの、今から見れば小さな会社だった。郡山は、若くして同社が次世代OSとして開発していた「OS/2」のプロダクトマネジャーになり、OSの開発や各種パソコンへの移植を手がけた。同社がWindowsに経営資源を集中する以前は、OS/2こそが本命の次世代OSとされていた。20代半ばの郡山は、その本命の次世代OSの日本向けの責任者に抜擢されたのだ。プログラマとして図抜けて優秀だったことが分かる。
その後マイクロソフトを辞職し、在学中に起業した会社であるアプリックスの経営に戻った。当初は放送局向けの特注の機器を受託開発する仕事で稼いだ。やがて自社開発したソフトウェア製品をライセンスするビジネスを始めた。「マイクロソフトにいたので、ライセンスビジネスは忘れられない」と郡山は語ったことがある。受託開発は1回作って対価を受け取れば終わりだが、ライセンスビジネスは、ソフトウェアの利用者が増えるほど売り上げが増えていくからだ。
最初の成功は1990年に発売した「CDWriter」だ。この時代のCD-ROMは、当時の主流だったフロッピーディスクよりはるかに大容量でマルチメディアコンテンツや大規模なソフトウェアなどを格納するための画期的なメディアとして普及しつつあった。そのCD-ROMにパソコンから書き込むためのソフトウェア製品だ。この時期、同社は「CD-ROMライターソフトの会社」と思われていた。だが、Windowsが標準でCD-ROM書き込み機能を搭載するようになり、このビジネスは終わっていった。
次の大きな成功は、1997年に発表した携帯電話向けのJava実行環境「JBlend」だ。米Sun Microsystemsが1995年に発表したJavaテクノロジをいち早くライセンスし、さらに組み込み分野向けJava仕様、携帯電話向けJava仕様の策定にも積極的に関わった。組み込みJava分野で世界トップレベルの地位を手にした同社は、携帯電話向けJava環境を作り、携帯電話メーカーにライセンスした。主要な携帯電話メーカーが、ことごとく同社のJava環境を採用した。日本製の携帯電話では、ACCESSのブラウザと並び、アプリックスのJava環境がどの機種にも入っている時代となった。
2003年12月、アプリックスは東京証券取引所マザーズに株式を上場した。当時の同社は、携帯電話向けの主要コンポーネントの一つであるJava実行環境で稼ぐ優良ソフトウェアベンチャーだったのだ。
資金を調達した同社は、次の一手に乗り出す。携帯電話向けのソフトウェア開発工数が爆発的に増大しつつあった問題を解決する基盤ソフトウェアの開発だ。同社はこの基盤ソフトウェアを「ミドルウェアフレームワーク」と呼んでいたが、実質的には携帯電話向け次世代OSと考えていい。Linuxをコアとし、モジュール構造で拡張可能なアーキテクチャを採用、携帯電話に必要な機能をフルスタックで備え、Javaアプリもネイティブアプリも同様にネットワーク配信可能なソフトウェアモジュールとして扱える。技術的にも意欲的な内容だった。

Androidショックで巨額損失を計上

しかし2007年、郡山は大きな挫折を味わうことになる。
この頃、郡山は当時Googleにいたアンディ・ルービンに呼ばれた。携帯電話向けソフトウェアでは一目置かれる存在だったアプリックスに対して、「次世代の携帯電話向けソフトウェア開発に協力してくれないか」と声をかけたのだ。そこで見せられたのが、ルービンが指揮を執って開発していた携帯電話向けOSであるAndroidだったのだ。
Androidの成り立ちは、Linuxを核としながら、Javaテクノロジのクローンを巧みに組み合わせ、フルスタックの携帯電話向けOSとして構築したものだ。当時のアプリックスが巨額の資金を投入して開発中だったソフトウェアフレームワークと構想が重なっている。しかも、郡山の目から見ても出来が良かった。さらに、豊富な資金と開発能力を持つGoogleが背後にいる。
勝てない。
郡山は、それまで実行してきた巨額の投資が回収不能になったことを悟った。
2007年5月、同社はそれまで同社の資産として計上していたソフトウェアフレームワークの開発費用約76億円ほかをバランスシートから外し、特別損失として計上した。キーパーソンとして活躍していた役員が会社を去った。この決算発表の場で、郡山は「タオルを投げ込まれた思い。経営者を辞めることも考えた」と発言している。誰の目から見ても、同社の挫折は明らかだった。
これだけの打撃にもアプリックスは耐えた。耐えられた理由の一つは、次世代携帯電話向けフレームワーク開発のために調達した資金が手元にあり、撤退の判断も早かったことがある。だが、それだけではない。「ソフトウェアエンジニアとして、他の会社にはないものをまた生み出すことができるはず」との思いを郡山が持っていなければ、今のアプリックスは存在しなかったはずだ。
なぜGoogleはAndroidを無料で配れるのか
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