掲載日:2014.12.8
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三年予測ートップリーダーと考えるエンジニアの未来ー

「僕らはインディーズ」、受託からインターネットサービスへ変身できた秘密とは

経営者 橋本正徳

ヌーラボCEO(最高経営責任者)。劇団員、DJ、八百屋などの経験を経て、未経験の派遣プログラマとなる。2004年、プログラマ3人でヌーラボを起業。ヌーラボはその後Backlog、Cacoo、Typetalkとインターネットサービスを次々とローンチする。著書に『Javaセンスアッププログラミング』(秀和システム、2003年刊)がある。


受託開発からインターネットサービス開発へ

話を聞けば聞くほど、ヌーラボのCEOである橋本正徳は不思議な人物だと思えてきた。話す内容はとても素直で筋道が通っているのだが、同じことが他の会社ではなかなか実行できない、そういう種類の話なのだ。
橋本らが設立したヌーラボはインターネットサービスを本業とする会社だ。だが2004年の発足時点では違っていた。最初はプログラマの派遣を本業とし、その後は受託開発で成長した。並行してインターネットサービスの事業を成長させ、2013年には受託開発部門を閉じた。
会社の本業を受託開発からインターネットサービスに切り替えようとして成功した例はあまり耳にしない。ヌーラボが受託開発からインターネットサービスの会社になったのはなぜか。それはなぜ実現できたのか。話を聞くことにした。

「授業中に歩き回る子ども」

橋本の小学生時代は、「落ち着きのない子ども」だったそうだ。「落ち着きがなく、授業中にも平気で歩き回るような子どもでした。だから、授業中は先生の隣に席を置いてそこに座らされているか、そうでなければ教室の後ろで正座させられているか」。
福岡の高校を卒業後、「20歳になるまでは暴れてやろうと」上京した。劇団を立ち上げたり、DJをしたりした。憧れていた劇団は、中島らもらが始めた「上下関係を廃した劇団」であるリリパットアーミーだった。「生活も共にして、人間的には破綻した暮らしぶりで。そういうのが水に合った」。詳しくは後述するが、この頃の経験が後の橋本の経営スタイルに影響したか否かといえば、やはり影響はあるようだ。
20歳になると、親に呼び戻され、家業を継ぎに福岡に帰った。東京で一緒になった妻を連れていた。結婚が早いが「20歳といえば大人。大人は結婚しているものだと思っていた」。
家業は建築リフォームや塗装業だ。ときには年長の職人たちを率いる棟梁のような立場に立った。だが、そういう立場や仕事内容は苦手だと感じた。「体力のない草食系の僕に比べて、みんな屈強で、動物的に強い人たちばっかりなんで」。
この頃は悩んでいた。「家業は向いてないし、続けられない」。迷ったあげく、DTP(デスクトップパブリッシング)を仕事にし、それもやめて八百屋をやった。「(テクノミュージシャンの)ススム・ヨコタが、食えない頃は八百屋で働いていたという話を聞いた」からだ。
八百屋もうまくいかず、派遣プログラマになった。未経験だったので、最初は無給でOJTを受けた。「他の人は1カ月程度で終わるんだけど、物覚えが悪くて3カ月かかっちゃって」。無給の日々が続いた。夫婦の間に生まれた長男はその間も育っていく。「ある日、妻がおかずに焼いた油揚げだけを出してきたんです。これはまずいな、と思いました」。言葉ではなく、食卓の内容でメッセージを伝えたのだ。

書籍執筆、オープンソース、勉強会が転機に

結局、派遣プログラマを職業にするようになった。その一方で、プログラマにとって有用な情報をWebで発信した。当時、まだ情報が少なかったオープンソースのJava向けIDE(統合開発環境)であるEclipseに関する情報サイトだ。このサイトを見て、「書籍を書きませんか」というオファーが舞い込んだ。プログラマとして働き出してから6カ月も経たない頃だった。「実際には、書き上げるまで1年半かかっちゃって」、出版はもう少し先のことになる。こうして書いた書籍が『Javaセンスアッププログラミング』(秀和システム、2003年刊)だ。共著者の縣俊貴は、後にヌーラボの創業メンバーになる。
オープンソースプロジェクトにも積極的に取り組んだ。プログラマとしてOJTによる訓練ではJava言語を学んだが、取り組んでいた仕事で使う言語はC言語だった。「Javaももうちょっとやりたいと思って、音楽の話で意気投合した縣と一緒に勉強会やオープンソースプロジェクトを始めました」。
このとき始めた勉強会のコミュニティがMobsterだ。オープンソースソフトウェアは「BBSとかメーラーとかBTS(バグトラッキングシステム)を合わせたツール」を作った。「後々のBacklogの原型の一つです」。
プログラマとしての職歴をスタートさせてごく短期間で、橋本はプログラマへ向けた情報発信やオープンソースプロジェクトの開発に積極的に関わり、仲間を見つけることができた。2004年、橋本、縣、それにMobsterコミュニティで知り合った田端辰輔の3人はヌーラボを起業する。
「橋本君が社長やって」
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