障害者地方転職成功ストーリー
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熊本
熊本在住の私が、フル在宅勤務で東京のIT企業に転職。スキルを活かせるSE職との出会い
私が社会不安障害を発症したのは、10年ほど前になります。あるIT系人材派遣会社で勤務していたときでした。システムエンジニアとして、クライアントに説明したり、折衝する場面で、人前で話すことがとても辛く、ストレスに感じたんですね。そのうち、うまく話そうと思うと言葉に詰まったり、声が出なくなったり、蕁麻疹が出るなど、心身に不調が出るようになりました。
A.T.さん 30代 不安障害
精神障害
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仙台
地元仙台・未経験から事務職へ転職を実現。障害者採用枠ではたらくという選択肢
私は音楽が好きで、高校卒業後は、大手CDショップチェーンに就職をし、接客販売やPOP製作など売り場づくりの仕事をしてきました。先天性の視野狭窄の障害がありますが、接客販売の業務では大きな支障はないだろうと考え、一般採用枠での就職をしました。実際に、周りの方から特別な配慮をしてもらう必要性をあまり感じることもなく、音楽に仕事で関われることはとても楽しいものでした。結婚後は複数回、夫の転勤がありましたが、雇用形態をアルバイトに変えて、職場をうつして仕事を続けました。地元の仙台に戻ってきたタイミングで、仙台を拠点に生活をしていこうと夫婦で話し合い、私も長く安心してはたらける仕事を探そうと考えるようになりました。また今後、家族が増えたときを見据えて、転勤がなく、土日休みを条件に転職活動を始めました。
S.T.さん 20代 視覚障害
身体障害
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北海道
うつ病発症から7年、地元北海道で人生を再始動。向上心をもってはたらける喜びを実感しています
大学卒業後に入社した鉄鋼メーカーでは、営業や生産管理を任されていました。責任は大きくやりがいを感じ、仕事に打ち込んでいました。当時の会社や上司には、育ててもらったという感謝の気持ちが大きいです。しかし、残業は月100時間を超えることもある環境下で、気づかないうちに少しずつ心身に負担がかかっていたのだと思います。入社して10年経った頃、ある日、体が動かず朝起きられなくなってしまいました。病院に行くと、うつ病と診断されました。その後は、会社の配慮もありながら休職と復職を繰り返し、2年間在籍しましたが、退職し地元の北海道に戻りました。
I.K.さん 40代 うつ病
精神障害
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福岡
車椅子通勤によるストレスがなくなった。「リモートワーク」推進の流れにのって、福岡在住の私が東京の企業に転職を実現
私は先天性の四肢、体幹機能障害がありますが、高校までずっと普通校に通っていました。高校卒業後の進路は就職を希望しましたが、就職課の先生は障害がある生徒の就職指導の経験がなく、しっかりとした支援があったとは言えませんでした。私自身は、公務員を目指そうと考え、公務員試験の勉強をしましたが、残念ながらご縁をいただけず、その後の就職活動も進まないまま高校を卒業しました。一人で悶々と思い悩み、1ヶ月ほどして、就職といえば…と思い立って、ハローワークに通い始めました。そこで担当者に紹介して頂いたところが、就労継続支援A型事業所です。A型事業所は、施設と雇用契約を結び、一定の支援がある職場ではたらくことができる福祉サービスなので、はじめての就労でも安心感がありました。
Y.H.さん 30代
四肢体幹機能障害身体障害
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仙台
自分の特性を理解してくれる、はたらきやすい職場へ
私がアスペルガー症候群の診断を受けたのは、24才のときでしたが、小学校の高学年頃から、人づきあいが難しいと感じていました。1対1で話をするのは、それほど大変ではないのですが、3人以上集まると会話の中にどう入ったらいいか困ったり、友達と話をしていても話題に苦労したりしました。中学のときは、卓球部に入って打ち込みましたが、高校は帰宅部で、ゲームをするなど一人で時間を過ごすことが多かったです。商業高校だったので、ビジネスで使えるExcelを勉強したり、今の仕事にも役に立っていますね。
M.H.さん 30代
アスペルガー症候群精神障害
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福岡
アパレルから事務職へ。「長く安心してはたらく」ために障害をオープンにして福岡の大手企業に転職
先天性の心疾患で、3歳のときに手術をしました。日常生活に問題はなく、体育の授業で持久走など運動制限されることはあっても、高校まで友達と変わらず学校生活を送ってきました。高校卒業後は、憧れていた服飾関係の専門学校に進学し、その後、アパレル企業でパタンナーやデザイン企画の仕事に就きました。子どもの頃から、裁縫やフェルト手芸が好きだったので、仕事は充実していました。いくつかアパレルファッション関係の仕事をした後、結婚・出産を経験しました。
M.Y.さん 40代 身体障害
身体障害
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京都
48歳での転職。約1年の転職活動を乗り越えて、自分のスキルを発揮できる職場に出会いました
私が障害を発症したのは40代前半で、抗がん剤治療薬の副作用が原因でした。その頃、私はコンピューターオペレーターとして派遣会社で仕事をしていて、人員不足による業務過多の日々でした。夜勤も多く、生活が不規則になっていて、体に無理をしていました。そのため、過労により免疫力が低下していたことも、がんを患ってしまった原因のひとつだろうと思っています
M.T.さん 40代 上肢下肢障害
身体障害
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滋賀
社会人になって分かった軽度の知的障害。「自分にできること」を仕事にしてから、やっと自分に自信が持てました
私は、dodaチャレンジの転職支援サービスで入社した今の会社の前に、5社経験をしているんですが、いずれの会社も長く続きませんでした。仕事内容も、販売、事務、工場での製造などで、経験もばらばらです。どの仕事も、自分なりに頑張っていたのですが、うまくいかずに退職したり、契約が満了となったりで、今の会社が一番長くて、入社してから半年が経過しました。
S.C.さん 20代 知的障害
知的障害
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兵庫
コロナ禍での転職。地元兵庫で50代という不安の中でのチャレンジが「自分の可能性」を広げました
今回の転職に踏み切るには正直不安がありました。50代で転職回数9回目の私が、コロナ禍において転職先が見つかるのかと。これまでハローワークを利用し求職活動していましたが、それだけでは情報不足感を感じ、インターネットで「障害者 雇用」と検索して、求人や市況を調べました。そして、障害者採用の転職エージェントの中で評判が良かったdodaチャレンジに思い切って登録しました。思い切って、とは大げさかもしれませんが、年齢や転職回数を考えると、紹介してくれる求人はないかもしれない、それでもダメ元で登録してみよう、そんな気持ちだったからです。
M.N.さん 50代 上肢下肢障害
身体障害
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福岡
大学3年で双極性障害を発症。就職活動は障害者採用枠でと決断し、第一志望の研究職に内定
子どもの頃から、工作や絵を描くことが好きで、中学卒業後は高専に進学し、大学は3年次で編入、土木工学を専攻しました。オープンキャンパスで先生方のお話が楽しく、とても印象が良かったからです。編入学するとともに、親元を離れ、福岡で初めての一人暮らしも始まりました。慣れないことばかりで大変でしたが、勉強は楽しかったですね。
T.K.さん 20代 双極性障害
身体障害
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兵庫
ダイバーシティを推進しているかの見極めは、一人で行う転職活動では難しい。プロと一緒だから安心でした
dodaチャレンジに登録して転職が決まるまでにかかったのは1ヶ月くらいでした。早く決まったことも良かった点ですが、一番は、「障害を含めた多様性への理解と配慮」のある職場が見つかったことでした。私の他にも障害のある社員もいますし、また外国籍の社員も多く、多様性は当たり前の職場なんです。私も特別な存在ではないので、気を張らずにいられるのもいいですね。
K.M.さん 40代
心臓・呼吸器障害身体障害