もっと、自分らしい働き方が見つかる女性向けイベントWoman's Career Meeting Report
掲載日:2017年10月23日
アジアで働くことを選んだ女性から学ぶ新しいキャリア
doda Woman Careerが主催する女性向けのイベント「Woman's Career Meeting」の第11回が2017年9月30日(土)に開催されました。今回のテーマは「アジアで働くことを選んだ女性から学ぶ新しいキャリア」。前半のトークセッションでは、アジアで働いた経験のある女性3人が登壇し、アジアを選んだ経緯や、挑戦に際して悩んだこと、実際の現地での仕事や生活の様子などを紹介。後半の懇親会では、アジア就労に関心を持つ参加者同士が、アジアンスイーツを楽しみながら語り合いました。当日の模様をWoman Career編集部がレポートします。
profile 講師プロフィール
秋田 和子さん
米国非営利教育財団 SAFスタディ·アブロード·ファウンデーション日本事務局
2010年に国内の大学を卒業後、日本の鉄道会社で外国人向けのカスタマーサポート、英会話学校で講師兼営業職を経験。その後2013年~2015年の2年半、シンガポールで大手航空会社の総務・営業職などを担当。現在は米国教育財団の日本事務局で、日本人学生の留学促進に貢献する仕事に従事。
杉山 涼子
パーソルキャリア株式会社 グローバルキャリアグループ
米国の大学を卒業後、米系物流会社に入社。2012年にパーソルグループ香港支社へ転職。人材紹介の営業職を経てキャリアアドバイザーに転身。2015年に日本へ帰国し、現在は年間約100人の海外転職希望者へのキャリアカウンセリングの実施や、海外転職セミナーの企画運営を担当。これまで、香港を中心としたアジアの地域へ数多くの転職成功をサポートしている。
小倉 史絵子(ファシリテーター)
パーソルキャリア株式会社 グローバルキャリアグループ
芸術系大学院修了後、ITベンチャーでの企画営業、カスタマーサービスを経て、2011年テンプスタッフ台湾(現インテリジェンス台湾)に入社、台湾人および日本人の転職支援、在台湾企業の採用支援に携わる。2015年に帰国し、インテリジェンス(現パーソルキャリア)に入社。現在は、日本から海外へ就業を希望する方のカウンセリングや、海外事業を推進するための企画業務等を担当。
海外で働きたいという長年の夢を現実に「私がアジアを選んだ理由」
秋田
現在、アメリカの教育財団の日本事務局で、主に大学生の留学をサポートする仕事に携わっています。その前は2年半にわたりシンガポールで働いていました。海外で働くことに関心を持ったきっかけは、大学時代にアメリカに1年間留学したことです。大学卒業後、日本で就職してからも、もう一度海外で暮らしたいという思いがずっとあり、大手英会話学校に勤めていた20代半ばは悶々とした日々を過ごしていました。あるとき、アメリカ留学中に知り合った日本人の女性の先輩が、シンガポールで現地採用されて働き始めたと聞き、エージェントを紹介してもらい私も就職活動を始めました。そこで知ったのは、欧米では就労ビザを取るのが非常に難しいのに対し、アジアで働くことは決して難しくはないということ。むしろ日本人は歓迎されやすく、ある程度の英語力があれば未経験でも採用してくれるところが多いと知り、挑戦を決めました。
杉山
私の場合は、アメリカの4年制大学を卒業すると最長1年間アメリカ国内で働ける制度を利用して、アメリカの物流会社に入りました。ただ、やはり就労ビザの取得は難しく、1年後に泣く泣く帰国。同じ会社の日本法人に入社しましたが、英語を使う機会は激減し、仕事内容がルーティン化してきたことにも物足りなさを感じて、転職を考えるようになりました。英語を使って海外とやり取りするような仕事を国内で探したのですが、なかなか見つからず、いっそのこと海外で探してみるのはどうだろうと考え付いたんです。日本から近くて英語が通じる国はどこだろうと考え、そこで浮かんだ香港に絞って転職活動をし、パーソルグループの香港支社に就職しました。
小倉
お二人は20代でアジアに行かれたんですね。私は38歳の時でした。それまで日本で仕事をしていて、双子の出産・育児を経て、契約社員として仕事に復帰しましたが、このままでいいのだろうかという迷いをずっと感じていました。学生時代に台湾の文化を研究して以来、いつか日本と台湾をつなぐような仕事をしたいと長年思い続けていたからです。ちょうどそのころ、プライベートで台湾を訪れる機会があり、行きの飛行機で隣に座っていた日本出張帰りの台湾の方と親しくなりました。その方の会社で働かないかと誘っていただき、1年後、子どもを連れて台湾に移り住み働き始めました。ところが、2011年のタイ洪水の被害を受けてその会社の製造ラインが止まり、仕事がない状態に。職を探さなければと、当時のテンプスタッフ台湾に駆け込んだところ、縁あってそのまま採用されたという経緯です。
情報収集から転職活動、入社手続きまで「アジア就業にあたり課題だったこと」
小倉
アジアで働くにあたって、お二人は何か課題はありましたか。
秋田
当時は契約社員で、交際している人もいなかったので、自分をしばるものは何もない状態でした。強いて言えば、在職中に、シンガポールで面接などの転職活動をする必要があり、どのタイミングで現職の休みを取って現地へ行くかに悩みましたね。幸い、ゴールデンウィークで勤務先の英会話学校がしばらく休校になり、それに合わせて急いで準備をしてシンガポールに行きました。採用が決まった後も、先方が求める入社日までの期間が短く、交渉して待ってもらう必要がありました。そうした日本とのスピード感の違いにも戸惑いました。
杉山
転職活動や、内定が出た後の物事の進み方は、確かに日本とは違う点がありますね。私の場合、転職活動自体が初めてで、海外で働こうと決めたものの、何から取り掛かれば良いのかまったくわからない状態でした。ネットで香港に関する情報をいろいろと集め、現地に日本人向けのエージェントがあると知り連絡を取りました。その時点ではまだ、香港でどんな仕事にチャレンジできるのか、どのくらいの希望給与が妥当なのかなど、いっさい見当がついていませんでした。Skypeを使ったエージェントとの面談で希望給与を伝えたところ『それはちょっと無理ですね』と言われてしまったほどで、全体的な情報不足が私の課題だったと振り返って思います。内定を受けた後も、ビザの取得に必要な過去の在職証明や、最終学歴の証明、さらには高校の卒業証明まで英語版でそろえる必要があり、なかなか大変でした。
小倉
私は台湾に行きたいという思いはあったものの、「自分にいったい何ができるか」がまったく分かっていなかったことが大きな課題でした。就職に有利になればと日本語教師の資格も取ったのですが、もし日本語教師として働くとなると夕方以降の遅い時間帯に授業を受け持つ必要が生じ、子どもを連れていくことが難しくなってしまう。その点にかなり悩みました。まさか自分が海外でオフィスワークに就けるとは想像もしていなかったのです。その国でどんな仕事の選択肢があるのかを具体的にイメージできれば、必ず自分に合う仕事は見つかるはず。これは私自身の経験から皆さんにお伝えしたいことですね。
慣れない仕事や異文化に戸惑い、涙した日も「現地での仕事や生活、ライフイベントとの両立」
秋田
シンガポールでは2年半、日本の大手航空会社の現地支社で働きました。最初の1年は総務部門で従業員の時間管理や、日本人学生のインターンシップの受け入れに関わる業務などを担いました。その後、営業の部門に移り、チケットの発券など主にパソコンに向き合う仕事をしていました。仕事で使う言語は日本語と英語が半々ぐらい。現地のトラベルエージェントと話をする機会が多かったのですが、「シングリッシュ」と呼ばれるシンガポールなまりの英語を最初はなかなか聞き取れず、慣れるまで3カ月かかりました。
杉山
香港で働き始めた最初の6カ月は暗黒時代でした…。人材業界も営業職も未経験で、最初は仕事の要領がつかめず苦労しました。自分に余裕がないので、香港人の同僚とのコミュニケーションがおろそかになり、その結果、周りの協力を得られずますます仕事が立ち行かなくなるという負のサイクルに陥ってしまったんです。見かねた上司が、日本の先輩社員をメンターにつけてくれ、毎週のように遠隔で研修を受けるうちに徐々に仕事のやりかたが変わり、実績に応じてボーナスや月々のインセンティブを得られるように。精神的にも経済的にも余裕が出てきて、同僚とのコミュニケーションも改善し、さらに仕事もうまくいくという良いサイクルが生まれました。
小倉
私も最初の6カ月は、毎日一人で泣いているような状態でした。職場で年齢が上だったこともあり、早く結果を出さなければというプレッシャーで、思うように動けない時期がありました。少しずつその殻を破っていく中で、徐々に実績を上げられるようになり、どんどん仕事が楽しくなっていきました。海外で、それも営業の仕事をして良かったと思うのは、営業先では必ずといっていいほど拠点の責任者の方が対応してくださったこと。いろいろな業界の方とお話をする機会を持て、とても勉強になり、人脈も築けました。大きな財産を得られたと振り返って思います。お二人はライフイベントとの両立についてはどうですか。
杉山
香港で出会った人と昨年末に結婚し、それを機に日本に帰ってきました。出会って半年後に彼が先に日本に戻ることになり、それ以降1年半ほどは遠距離恋愛で、結婚に至るまでに丸一日いっしょに過ごした日は数えるほどです。遠距離恋愛になってしまうパターンは「海外就職あるある」のようですね。私自身は香港で仕事に無我夢中の時期だったので、距離があって良かったのかもしれません。
秋田
仕事以外の時間は、趣味に打ち込んだり、友達と毎月のようにシンガポール国外へ旅行したりと、独身の今しかできないようなことを思う存分に楽しみました。やりたいことを我慢してしまったら、この先モヤモヤや後悔が残るかもしれない。だから、やりたいことを思い切りやり尽くすことが、今私がすべきことだと思ったんです。日本に帰ってきた現在は、少し落ち着いた生活をしたいなと考えているところです。
小倉
台湾にいた間、外国人児童も受け入れている公立の小学校に子どもを通わせました。子どもは最初まったく中国語が話せなかったのが、2年半で通常の授業を理解できるまでに上達しました。仕事と子育てを両立していく上で私が重要だと思うのは、「やりきる」と決めること。「できるかな」「無理なんじゃないかな」と思ってしまうと、そこで立ち止まってしまう。でも、「やるしかない」と決めれば、誰かに聞いたり、協力を仰いだりしながら、どんなに大変でも頑張れるように思うのです。当時はそんなふうに腹を決めていたので、もしかしたら今よりも気持ちの上では楽に仕事に向き合えていたかもしれません。
キャリアの幅や、人生の選択肢を広げる機会にも「アジア就業を経て得たもの&来場者へのメッセージ」
秋田
日本を離れて働くことが、キャリアの上で何らかのマイナスになると考える人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。日本でも海外でも、積み上げたキャリアに変わりはなく、その後再び日本で働く際にも必ず役に立つと思います。よく言われることですが、未来を想像することは不安でも、過去の点と点は線でつなぐことができます。私自身、今までやってきた仕事や、シンガポールでがむしゃらに頑張った経験は、今の自分に確実につながっています。皆さんもぜひ勇気を出して踏み出していただければと思います。
杉山
香港にいた当時は5年後、10年後のキャリアは見えていませんでしたが、秋田さんがおっしゃったように、振り返るとやってきたことが線でつながってると感じます。香港での3年間を経て私が得たのは、「世界のどこでも生きていけそうな自信」ですね。現地の方々と共に働き、給料をもらって生活する経験を積んだことは、留学とはまた違う確かな自信になりました。アジアで働いたことでキャリアの幅が広がり、結果、自分の人生の選択肢も広がったように感じています。現状に閉塞感を覚えている方や、キャリアのことでお悩みの方は、アジアでの就業を視野に入れることで新しい道が開けるかもしれません。
小倉
振り返ると「台湾に行きたい」という思いだけを募らせて何もしなかったときのほうが、ストレスがありました。いざ行ってみると、育児のブランクを経た後のキャリアプランの立て直しもできました。友人からは「ご主人がよく許してくれたね」と驚かれましたが、主人は背中を押してくれただけでなく、「あなたの夢を壊さずにいられて後悔はない」とも言ってくれました。今は海外にいてもSkypeなどで毎日顔を見て話せる時代です。やらないで後悔する方が、やって後悔するよりよっぽどつらいですよね。誰の心の中にも小さなパッションの種があるはずで、その種が水を吸って大きくなった時は、素直に咲かせてほしいなと思います。アジア就労について気になることなど、ぜひ一度私たちキャリアアドバイザーにご相談ください。
トークセッションの後はテーブルごとに懇親会が開かれ、参加者はアジアンスイーツを味わいながら、アジアに興味を持った理由や、アジアで働くにあたって気になっていることなどを、キャリアアドバイザーを交えて語り合いました。懇親会終了後は、希望者を対象にした個別相談会も開催。来場者はこの機会を活用して熱心に情報収集するなど、会場は終始熱気に包まれていました。
- シンガポールでの就職を希望しているので、シンガポールのお話を聞くことができてよかったです。香港と台湾の話も新鮮でおもしろかったです。(28歳・事務アシスタント)
- 実際に働いていた方々のお話しだったので、アジアで働くことのイメージが持てました。(32歳・営業)
- 海外で実際に働いた方や働く意思が強い方々のお話しを聞けて大変参考になりました。(27歳・マーケティング)
- 登壇者や参加者の皆さんの生の声が聞けて良かった。いろいろなシチュエーションの方と交流できてよかった。(30歳・企画)
- 海外での仕事に興味を持っていても一歩踏み出せない雰囲気があるので、友達と一緒に参加したい。(26歳・事務アシスタント)
- 子供を連れて海外で働くという選択をした話に驚きました。(32歳・営業)