めまぐるしく変化する経営環境のもと、企業をはじめ職場や人もまた、絶え間なく変わっていくことが求められています。そんな中、管理職として、身近な人や職場、ビジネスを変え続けている女性たちがいます。彼女たちが変えてきたもの、そして、彼女たちに影響を与えてきたものとは何なのか。今回は、「対顧客」「組織・職場運営」「人材マネジメント」「自分の価値観」の4つの観点で、それぞれのエピソードをひも解き、「変えていく力」を発揮するためのヒントを見出します。
※この記事は2015年3月に発行した株式会社パーソル総合研究所の機関紙・別冊『HITO』でまとめた記事をWoman Careerが再編集しました。
※所属や肩書きは取材当時のものです。
掲載日:2015年7月27日
田村 咲耶(32歳)
GEヘルスケア・ジャパン株式会社
サービス本部 サービスソリューション部 部長
※所属や肩書きは取材当時のものです
出産後も「管理職として働きたい」という思いは変わらなかったという田村さん。働く時間に制約のある状況でも、仕事と自身をうまくコントロールすることで、効率的に成果につなげることができていると言います。自ら納得して仕事を進めるための上司とのネゴシエーション方法、日々の業務の中で見いだしたチームメンバーへのマネジメント手法など、田村さん流の仕事への向き合い方を聞きました。
GEヘルスケア・ジャパン株式会社
GEのヘルスケア部門の日本の拠点として、国内に開発、製造から販売、サービス部門までを持ち、日本の顧客のニーズに応える先端的な医療技術ならびに医療・研究機関向けの各種サービスを展開。CTやMRI、超音波診断装置などの医療用画像診断から、体内診断薬、細胞解析装置などのライフサイエンスまで幅広い分野にわたる専門性を駆使し、「より身近で質の高い医療をより多くの人々に」提供することを目指す。
本当に必要とする人に届けたい。
販路開拓へのチャレンジ
経営コンサルティングファームを3年経験した後、GEヘルスケア・ジャパンに転職したのが2010年です。大学で開発経済を学んでいたこともあり、世界の課題解決に貢献したいという気持ちを強く持ってきました。その中で、医療系メーカーという立場から世界の医療課題に貢献することができるのではという考えに至り、現在の仕事に就きました。
そんな思いを持って入社して最初に配属されたマーケティング部で、手のひらサイズの超音波診断装置の国内ローンチに関われたことは、とても幸運でした。この製品は、もともとは中国の農村部などの途上国向けにグローバルチームが開発した小さくて持ち運びが可能な製品です。日本での販売が決まったため、日本市場の初代マーケティングを担当しました。そのころ当社は、主に大型医療機器を扱っており、営業担当が大きな病院を訪ねる販売方法が基本でした。しかし、この製品を本当に必要としている人は誰かということを考え抜き、調査した結果、大型の医療設備を持ち運べない在宅医療や、救急医療にニーズがあることが分かりました。特に、高齢社会に伴って在宅医療が重要になる中で、手のひらサイズの超音波診断装置はその現場で役立つはずだ、という手応えを感じました。
市場とニーズを特定した後も、販路の開拓にはチームと一緒に悩みました。当社にとっても未知の市場で販路がほとんどなかったのです。そこで、我々はこれまでやったことはないeコマースでの販売に踏み切りました。ネット販売は相手の顔が見えないため、購入者が医療従事者であるかの確認をどのように取るかなど、販売プロセスの構築過程は課題が山積みで大きなチャレンジでしたが、販売開始後、製品は大ヒットし、日本市場における販売数が世界のトップになるまでに成長しました。また、高齢社会は日本だけでなく、世界のこれからの課題でもあり、今後の世界的な課題に貢献できたと思える、今でも思い入れのあるプロジェクトですね。
自分も相手も
「腹に落ちて」からがスタート
管理職になったのはGEに入社して2年目のことです。最初はマーケティング、その後製造本部に異動しましたが、最初の2年半は部下がいない管理職でした。その後、第一子の出産で産休・育休を経て、復帰後に自分のチームを持つようになりました。
チームを持って常に心掛けていることは、「何のために、誰のためにする仕事なのか」を明確にしてメンバーに指示すること。「上司の指示だから」というだけでは、仕事をする上でのモチベーションは上がらないと実感しているからです。製造本部の部長時代に、上司から「各工場のシステムを統一化してほしい」とシステム移行の指示を受けたのですが、その時はすぐに承諾はしませんでした。当時担当していた日本の日野工場の生産性は世界トップクラスで、それを支える独自のシステムを変える必要があるのか、その時点で納得できなかったからです。何よりトップダウンでシステム移行を決めると、現場は手間ばかり増えたように感じ、混乱してしまうと考えました。そこで、先行して新しいシステムを導入していた中国工場のマネジャーに相談し、システム導入後の現場の声を確認。実際にシステムを触ってみて問題点と改善点を理解して、「これは意味がある」と納得し、現 場とも議論を重ねた上で、日本の日野工場のシステム移行を進めました。
また、私は基本的に新しいことにチャレンジしていきたいタイプですが、メンバーみんながそうとは限りません。チームを持ったばかりのころ、急な増産のための休日出勤や効率化を図るための製造工程の変更を指示したのですが「単に新しいことをやるため…というのではモチベーションは上がらない」と部下に言われたことがありました。作業工程を短縮化し、お客さまの急なオーダーにも対応できるようにしたいとの思いがあっての指示だったのですが、部下にはその意図がうまく伝わっていなかったのです。コミュニケーション不足でした。それ以来、指示する相手の仕事への価値観を理解して「なぜこの仕事が必 要なのか」を具体的に伝えるべきだと気づかされました。
上司からの指示を待つのではなく、自ら仕事をコントロール
育休から復帰して以来、週に1日水曜日は在宅で勤務し、それ以外の曜日も、子どものお迎えのため18時には退社しています。このような働き方で管理職が務まるのか、当初不安を感じていました。しかし「やりたいことはやってみる」という性格から、今のスタイルに踏み切りました。今では基本的にこのスタイルでやれると思っていますが、大切なのは自ら仕事をコントロールすることです。特に上司からの指示を受けてから動くのではなく、私から仕事の内容を提案していこうと意識的に動いています。工場では、昼に上司の工場長と部長メンバーで構成される15分の立会議があるのですが、そこで工場長が何を求めているのか、次に手を打つべきことは何かを常に思考し、自分から提案するようにしています。また、海外出張も無理だとあきらめずに、私の動けるスケジュールで提案したり、18時を過ぎる会議は、前半に私が同席すべき議題を持ってきて、後半は議事録と電話対応で可能なものにしたりとメンバーにも協力してもらっています。指示を待つのではなく、自ら提案することで、時間的な制約がある中でもやりたい仕事ができるようになりました。
「管理職は大変ですよね」とよく言われますが、私は子どもを産んでからも管理職を続けていきたいという思いは変わりませんでした。それは、今まで出会った管理職の先輩たちにあこがれていたからです。チームを引っ張る先輩たちは、厳しい一面はありますが、顧客や部下のために奔走し、時には一緒に喜び、時にはがっかりもしてくれる人間味あふれる方たちばかりで、何より楽しく仕事に向き合っている姿が魅力的でした。こうした人たちを当社では「リーダー」と呼びます。今後、部下が増えチームがより大きくなった時にも、チーム全体で高いモチベーションを保ちながら働いていけるか、苦しいときに踏ん張れるか、私の「リーダー」としての力が試されます。そんな時こそあこがれてきた先輩たちのように、正しいビジネスジャッジができ、前例にとらわれない新しい仕事の手法を切り開いていけるような、格好いいリーダーになりたいですね。
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