転職ストーリー
ひとりでも多く更生の手助けをしたい
川越少年刑務所、作業専門官の胸中
刑務所で働く、「作業専門官」という職業をご存知でしょうか。受刑者の刑務作業や職業訓練を技術的に指導する官職で、刑務官とは別のポジションです。2025年6月の改正刑法施行(※)を契機として、彼らは「技術者」から「教育者」へと意識が変わりました。法改正に備えて先進的な取り組みを進めてきた川越少年刑務所を訪ね、2名の作業専門官に転職の経緯と仕事への想いを伺いました。
※懲役刑と禁錮刑が廃止され、拘禁刑に一本化。禁錮刑は身柄を拘束すること、懲役刑は作業を科すことそのものを目的としていたが、拘禁刑は受刑者の特性に応じたきめ細かな処遇の実現により、改善更生と社会復帰を図ることを目的とする。
Yさん(41歳)
川越少年刑務所 矯正処遇部 職業訓練 作業専門官
自動車ディーラーに約18年間勤め、2021年に入職。
Mさん(52歳)
川越少年刑務所 矯正処遇部 職業訓練 作業専門官
注文住宅の職人(大工)として13年ほど働き、2004年に入職。
技術力が生かせる、でもはじめは「怖い」と思っていた
転職先として多くの人が想起する仕事ではありません。お二人はそれぞれどのような経緯でご入職を?
Yさん 新卒で自動車ディーラーに入社して以来、整備やフロントの業務に従事していました。転職を考えたきっかけは、純粋に将来への心配からです。退職金はさほど多く望めない、だからきっと定年後も働くけれど体力的に持つのだろうかと。そこで、人に整備を教える仕事ならどうかと、専門学校や職業訓練施設を検討していたんです。3年ほど思案した結果、出会ったのがこの仕事です。
Mさん 私も生活への不安が理由でした。請負契約の大工だったので、現場がなければ収入もない。常に仕事を探さないといけなかったんです。一度、ぽっかり仕事が空いたときがあって、独立しようか全く別の仕事に就こうかと悩みました。そんな折、刑務官を務めていた父に勧められたのがこの仕事でした。
そして、職業訓練指導員免許を取得、あるいはそれに相当する経歴をもって入職されたと。刑務所で働くにあたって、不安はありましたか。
Yさん 正直、怖いと思いました。刑務所の中を見たことはなかったし、インターネットで調べるぐらいしか知る術はありませんでしたから。
Mさん そうですね、怖さはありました。親が刑務官だったとはいえ、「悪い人が入る場所だ」「箪笥をつくるんだ」なんて断片的な情報しか聞いていなかったんです。最初に配属されたのはここではなく、年齢を問わず収容される施設でしたから、受刑者も年上ばかり。「新人は睨まれるんじゃないか」なんてびくびくしていました(笑)。いざ入職してわかったのは、たしかに一般社会と同じではないということ。でも、先入観を捨てればお互いただの人間であるということ。怖がる必要なんてないんです。
それでも仕事を続けてこられた理由が気になります。まず、どのように業務を覚えていったのでしょうか。
Yさん はじめは自動車整備ではなく、製品工場に配属されたんです。担当は資材の管理や、生産管理。驚きましたね、受刑者と同じ作業をしてみると到底かなわないんです。彼らの方が早いし、上手い。色々な作業があるんだな、刑務作業も世の中の一部なんだなと感じました。2年目に経験が生かせる自動車整備工場に配属となり、今に至ります。
Mさん 私も、紙折り、縫製、介護とさまざまな作業に携わりました。経験がない仕事ばかりでしたが、ものづくりは好きですし、抵抗はありませんでしたね。現在は木工の担当で、大工だったときの経験をそのまま生かせています。最近は木製のティッシュボックスをつくったんです。ほら、なかなかきれいでしょう?(※タイトルの写真で手に持っているもの)
手ざわりがよくて、インテリアとしても素敵ですね!
「先生のおかげで僕は手紙が書けるようになりました」
川越少年刑務所には20代前半の受刑者が集まっています。彼らとのコミュニケーションはどのようなものでしょうか。
Mさん 以前は「最低限の言葉以外は交わさない」という慣習でした。しかし現在は、普通に会話をして構わないんです。私はあくまで人と人として付き合うことを心がけ、とにかく話し合うというスタンスです。出所が迫ると釈放班という工場に異動するのですが、担当していた受刑者がそこへ移ると会いにいくこともあります。「お世話になりました」「いや、おれはなんにもしてないよ」なんて言葉を交わすこともありますね。
Yさん 配属間もない頃、ある受刑者が「僕は刑務所に就職したわけじゃないのに、なんでここまで怒られないといけないんですか」と言ったんです。衝撃でした。反射的に、「自動車工場に配役(はいえき)されたんだから当然じゃないか、お客様の命と財産を預かってるんだから失敗できないんだぞ」と言いました。わざわざ刑務所に整備を依頼してくださっているんだからと。
本音がぶつかった瞬間ですね。
Yさん でも、それだけじゃ伝わらないんです。Мさんとは違う方法かもしれませんが、私はとにかく「やって見せる」ことにしました。まず、どのように作業するのかを見せてあげる。当然、私は簡単にできます。けれど彼らがその通りにやろうとしても全然上手くできません。すると次第に、「この人についていこう」と考えるようになるんです。言葉にはしないけれど、たしかにそう感じました。実際、「なんで怒られないといけないんだ」と言った彼は、その後変わっていきました。態度があらたまり、細かい報告もしっかりするようになって。気づいたら朝のミーティングで、私が以前教えたことを自分の言葉で他の受刑者に伝えていたんです。
Mさん 刑務所は出入りもあるし、作業場も頻繁に変わります。だから同じ受刑者と長く付き合うことはできません。けれど時折、そういう関係が生まれることがありますね。
Mさんも、印象に残る受刑者はいますか?
Mさん ええ、忘れられない出来事があります。新たに介護の職業訓練を立ち上げたころのことです。ヘルパー2級の取得を目指す指導をしていたのですが、ひとり、字の書けない受刑者がいました。そればかりか計算もまるでできない。「1,000円の筆箱が1割引きだったらいくらになる?」と聞いたら、わからないと言うんです。「それじゃお釣りもわからない、困るじゃないか」と言うと、「先生も僕のことバカにするんですか!」と。
そうじゃないよ、君の人生なんだから計算ができようができまいが私には関係ない。けれど、もし意欲があるなら。私が手助けして、君がそれに乗ってくれるんだったら教えるよと言いました。
それから毎日1時間ずつ、国語と算数を教えたんです。だんだんと心を開いてくれましてね。一所懸命、私の言うことを聞いてくれるようになったんです。そのうち、わからない漢字があれば自分で辞書を引いて調べ、宿題を出されればちゃんとやってくるようになって――。彼が出所して1年ほど経ったころでしょうか、私宛に手紙が届いたんです。そこには、こう書いてありました。「先生のおかげで僕は手紙を書けるようになりました」と。
※受刑者の役は職員が演じています
自分の経験や言葉が、誰かの人生を変えるかもしれない
拘禁刑に変わったことによるポジティブな変化を感じるエピソードです。やはり法改正の影響は大きいのでしょうか。
Mさん 先ほどの話もそうですが、本人に気づかせるという方針に変わりました。言って聞かせるのではなく、自ら答えを見つけるよう指導するんです。そういうことができれば、間違った衝動や誘惑に出会ったとき、立ち止まる力がつくのではないかと思います。
Yさん 私は入職4年目なので法改正による変化はわかりません。しかし、出所後を見据えた指導はたしかに意識しています。常に教えているのは、お金の大切さです。自動車整備は1台あたりいくらの利益を生むのか? 毎月の収益は? 工賃は? と口酸っぱく伝えています。彼らが頑張ったら、次はこの工具を買ってみようか、あれを試してみようかと意欲を掻き立てます。逆にペースが遅いときは、だらだら作業していたらこの時間にいくらしか得られないよ、でもきびきび動けば倍得られるんだよと鼓舞します。
不思議なもので、そうして向上心を育てていくと、お客様からの感謝の言葉やリピート利用にも喜びを感じるようになるんです。仕事ってつらいんだ、だけど、ときに楽しくてやりがいがあることなんだと知ってほしい。自分が頑張ったことの対価を感じることで、出所後の人生が変わることを期待しています。
いわば、ものづくりを通して「ひとづくり」をしているのですね。率直にいま、やりがいを感じていますか。
Yさん 素直にイエスと答えられないのが正直なところです。なぜなら、彼らが出所して働いている姿を見る機会はまだありませんから。「出所したらガソリンスタンドで働きます」と言っていた受刑者もいるので、いつか再会することがあったら、そのときに本当の意味で「やりがい」を感じられるのだと思います。ただ、技術力はもちろん、人生経験全てが生きる職務だというのは間違いありません。これまで民間企業で働いてきた経験、成功や失敗を通して得たものが、いま彼らに伝える言葉になっているのかなと。
Mさん 作業専門官という言葉からは想像しづらいかもしれませんが、これは人を育てる仕事なんです。もちろん、全ての受刑者が打てば響く人ではありませんし、必ずしも変わってくれるわけではありません。けれど、これまでの人生で培ってきたものが誰かの役に立っている。教えたことで、ときに人が変わっていく。その結果、何人かにひとりでも更生の手助けができるのなら、これほど存在意義を感じられることはありません。そう考えて、毎日働いています。







