転職ストーリー
航空自衛隊から自営業、そして海上保安庁へ。
異色のキャリアが支える東京湾の安全
東京湾海上交通センターで統括運用管制官として勤務する丹羽延行さん。航空自衛隊で航空管制に携わったのち、民間での起業経験を経て海上保安庁へ転職した、異色のキャリアの持ち主です。現在は、国内有数の輻輳(ふくそう)海域である東京湾を舞台に、船舶交通の安全を守る役割を担っています。空と海、民間と官公庁を経験してきた丹羽さんだからこそ語れる、仕事のリアルと魅力に迫ります。
丹羽 延行さん
海上保安庁 東京湾海上交通センター 統括運用管制官
航空自衛隊で航空管制員として勤務後、民間企業の経営を約10年間経験。その後、30代半ばで海上保安庁へ転職。現在は東京湾を航行する船舶の動静監視、情報提供、通航調整を担い、運用管制官の配置や判断を統括する立場として海上交通の安全確保に従事している。
「空」に憧れた原点と、キャリアを見つめ直す転機
もともとはまったく別の職種を目指していたと伺いました。
学生時代は体育教師を志して日本体育大学に進学しました。ただ、実家の近くに羽田空港や厚木基地があったことから日常的に航空機を目にする機会が多く、心のどこかに「航空業界に携わりたい」という夢がありました。
そこから航空自衛隊へ進まれたのですね。
はい。やはり夢を諦めきれなかったこと、自衛隊関係の知人が多く、防衛という仕事を身近に感じていたことも理由のひとつです。その際に知ったのが、航空管制という仕事です。航空自衛隊に入隊し、石川県の小松基地で航空管制員として勤務しました。
航空管制の仕事はどのようなものでしたか。
レーダーを見ながら航空機の動きを把握し、安全を確保する仕事です。自衛隊機だけでなく、小松空港に離着陸する民間航空機の管制も担当していました。夢が叶ったこともあり、やりがいは大きかったです。ただ、別の道も視野に入れてみたいという気持ちがあり、一度、航空自衛隊を離れる決断をします。
その後、民間で起業することになります。大きな転換ですね。
退職後は、叔父が経営していた会社の業務を引き継ぎ、熱気球を使ったイベントや広告、撮影などの事業を立ち上げました。大学時代からアルバイトで関わっていたこともあり、業務内容自体に不安はありませんでしたが、国家公務員から経営者への転換にためらいはありましたね。ただ当時は若さもあり、「やってみよう」と腹をくくってチャレンジしました。なんとか10年程続けましたが、2009年頃から景気の悪化を感じ、再びキャリアを見直すことになります。
空を管制し、起業した経験が海で活きている
再転職先として、海上保安庁を選んだ理由は何だったのでしょうか。
船舶の管制を行っている海上交通センターの存在を知ったからです。航空管制と同様に、船舶の動きを俯瞰し、安全確保を担うことから、「空と海は違っても、本質は近い仕事なのではないか」と感じました。応募要件を見たところ、無線の資格が必要と分かったので第一級陸上無線技術士を取得し、応募しました。試験内容は、これまで学んできた無線工学や法規と重なる部分が多く、懐かしさを感じながら楽しんで勉強できたのを覚えています。
現在の仕事内容を教えてください。
東京湾を航行する船舶について、レーダーやカメラを使って常時監視し、危険な見合い関係や浅瀬への接近がないか確認しています。必要に応じて、無線やAIS(船舶自動識別装置)を使って船舶へ情報提供を行います。また、浦賀水道航路や京浜港周辺で船舶が同時刻に集中しないよう、管制計画を立てることも重要な業務です。
航空管制の経験が活きていると感じる場面はありますか。
とても多いですね。航空機も船舶も、混雑するエリアでは決められたルールと流れがあります。どの船に、どのタイミングで、どんな情報が必要なのかを短時間で判断し、無線で伝える。その判断力や洞察力は、航空管制で培った経験がそのまま活きています。
一方で、空と海の違いも大きそうですね。
大きな違いは、最終判断を誰がするかです。航空管制では、「右に旋回してください」「高度を変えてください」と指示を出しますが、海上交通センターは原則として情報提供のみ。「〇〇丸と約20分後に接近します」と状況を伝え、どう動くかは船長の判断に委ねられます。この点は当初、かなり驚きました。
現在は統括という立場ですが、民間での経験は活きていますか。
以前担っていたイベント運営事業では「今日はどんな流れになるか」「どこに人を配置すべきか」を考えながら全体を見る必要がありました。統括運用管制官として、無線を担当する運用管制官が円滑に業務を進められているかを後方から確認し、時間帯や船舶の状況に応じて配置を調整する際などに、当時の経験が活きていると感じます。経験の浅い職員とベテランをどう組み合わせるかなど、考え方はまったく同じですね。
前職とのギャップはありましたか。
航空自衛隊と海上保安庁はいずれも国家公務員なので、大きな違いはありません。ただ、民間で会社を経営していた立場から見ると、報告や決裁のプロセスが非常に丁寧だと感じます。一方で、ルールが明確なので、工程を逆算して動けば、仕事は進めやすいと感じています。
「今日も事故が起きなかった」 その積み重ねが、最大の成果
この仕事ならではのやりがいを教えてください。
やはり一番は、海難事故を未然に防げた瞬間でしょうか。私たち海上交通センターの業務は、事故が起きてから対応するのではなく、事故を未然に食い止めることです。レーダーやAISを見ている中で、「このままだと危ないかもしれない」と感じた船舶に情報提供を行い、状況が改善されたときには、大きな意味があったと感じます。
実際、無線での呼びかけがきっかけとなり、船舶側が危険な状況に気づき、衝突や乗揚げを回避できたケースは何度もありました。後から船舶電話で「気づいていなかった。情報提供してくれて助かった」と感謝の言葉をもらえることもあります。そうした瞬間に、「この仕事をしていてよかった」と心から思います。
一方で、厳しい言葉を浴びる場面も多いと聞きます。
接近している船同士は緊張状態にありますし、「分かっている」「うるさい」と言われることも珍しくありません。正直なところ、無線で怒鳴られることの方が多いかもしれません。それでも、こちらが声をかけなければ、そのまま衝突していたかもしれない状況は確かにあります。仮に感謝されなくても、1件でも事故を防げれば、それだけで十分に意味がある仕事だと考えています。
現在は統括という立場ですが、やりがいの質も変わりましたか。
今は直接無線を取ることは多くありませんが、その分、全体を見て判断する責任があります。どの時間帯に船が集中するのか、どのエリアが危険になりやすいのかを先読みし、経験豊富な運用管制官と若手をどう組み合わせるかを考える。統括としての判断が、現場全体の安全性に直結することは大きなやりがいです。
また、組織づくりという点では、若手が一人で抱え込まない環境をつくることを強く意識しています。過去には、異常に気づきながらも相談できず、そのまま衝突に至ってしまったケースがありました。年次に関わらず、「おかしいと思ったら、すぐ声を上げていい」と思ってもらえる雰囲気づくりが、安全を守るうえで欠かせないと考えています。
ありがとうございます。最後に、今後の目標を教えてください。
これからも海上交通センター関連の業務に携わり、船舶交通の安全を守り続けたいと考えています。東京湾は日本でも有数の混雑海域です。その安全を支える仕組みや体制を、より安定したものにしていくことが目標です。 組織としては、新しい仲間を今以上に増やしていきたいと思っています。運用管制官は年齢に関係なく挑戦できる仕事です。研修制度も整っており、最終的には国際基準に準拠した資格を取得して現場に立つことができるので、「難しそう」と感じて一歩踏み出せない方にも、ぜひ知ってほしいですね。事故が起きなかった1日を積み重ねることが、社会を支える確かな実感につながる、非常にやりがいのある仕事です。興味のある方は見学も随時受け付けていますので、いつでも訪ねてください。
キャリアの変遷
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航空機が身近にあり、防衛の仕事に興味を持つ 航空機や自衛隊が生活の身近にあり、航空業界に憧れを抱く
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航空管制に従事し、空の安全を支える 航空自衛隊に入隊後、航空管制員として勤務。自衛隊機・民間航空機の管制を担当する
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航空自衛隊を退職し、起業。経営者に 叔父の事業を引き継ぎ、イベント・広告事業を約10年間運営。全体管理や人員配置など、マネジメント視点を養う
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海上保安庁へ転職。東京湾で事故を未然に防ぐ 第一級陸上無線技術士を取得し、海上保安庁へ転職。現在は東京湾海上交通センターで統括運用管制官として、船舶交通の安全確保に従事






