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Age28 〜28歳から、今の私につながるキャリア〜

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掲載日:2014年6月9日
更新日:2020年8月24日

仕事をする上で譲れないものとは?
その“物差し”は人それぞれ違っていい

ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を運営する株式会社東京糸井重里事務所で取締役CFO(最高財務責任者)を務める篠田真貴子さん。大学卒業後、銀行勤務を経てアメリカでMBAおよび国際関係論の学位を取得、さらにグローバル企業3社に勤めたのち現職と、華々しい経歴が並びます。しかし篠田さんにとってそれらは全て、自分が本当にやりたいことを探して紆余曲折を重ねた長い道のり。試行錯誤を経て篠田さんが手にした、仕事に対する自分なりの“物差し”とは。

株式会社東京糸井重里事務所 取締役CFO篠田真貴子さん

1968年東京生まれ。小学1年から4年までを米国で過ごす。慶應義塾大学経済学部卒業後、日本長期信用銀行(現:新生銀行)に入社。約4年で退職して米国に留学し、ジョンズ・ホプキンス大国際関係論修士、ペンシルバニア大ウォートン校MBAを取得。その後、マッキンゼー・アンド・カンパニーで経営コンサルティングに従事。2002年にノバルティスファーマに転職し、人事部を経てメディカル・ニュートリション事業部で経営企画統括部長を務める。07年、所属事業部の部門売却に伴いネスレ日本へ移籍。08年、ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を運営する東京糸井重里事務所に入社、09年より現職。CFOとして経営管理や人事制度の整備などに携わるほか、事業戦略の分析や社内外への発信も手掛ける。家族は夫と長男(小5)、長女(小1)。ノバルティスファーマ時代とネスレ時代に産休・育休を取得。

~28歳の時~ 「あこがれ」と「現実」の落差に直面した留学時代
天職に思えた企業でも思わぬ落とし穴が

28歳の時はちょうど、大学卒業後に勤めた日本長期信用銀行(長銀)を退職してアメリカに留学した時期です。その2年後に長銀は実質破綻し国有化されることになるのですが、退職の理由はそれとは無関係で、端的に言えば私はまったく銀行の仕事に合っていなかった。配属初日から単純な事務作業でつまずき、その後も、金利の上下をはじめとする銀行の仕事に本質的に興味を持てなかったんです。「私がいるべき場所はここではないな」という気持ちを拭えずにいました。

ビジネススクールへの留学は、長銀に就職する前からぼんやりと考えていました。私が新卒で就職した1991年は男女雇用機会均等法の施行からちょうど5年後でしたが、女性が総合職に就くことがまだまだ珍しかった時代。ですが私は「男性と同等に働きたい」「仕事で一人前と認められたい」という思いが人一倍強く、MBAの取得はその切り札となる気がしていたのです。3年間でMBAを含む二つの学位が取れる制度があることを知り、それを利用して留学しようと決めて長銀を退職。ちょうど同じタイミングで結婚をしました。海外留学が決まり結婚もして、当時の私は“向かうところ敵なし”。「留学後は世界銀行で働けたらいいな」とあこがれを抱きながら、全てが順風満帆だと感じていました。

ところが現実の留学生活は、思い描いた通りにはいきません。学ぶ内容の一つひとつは面白いのですが、その分野に本当に情熱を傾けている人と机を並べて学んでいると、私はその水準には遥かに及ばないことが嫌でも分かりました。加えてショックだったのは、あこがれていた世銀のイメージと実物とは大きく違うという事実でした。間近で見た当時の世銀は、私の目には巨大官僚組織以外の何ものでもなく、根拠のないあこがれだったと気付かされたのです。

卒業後の進路を考え直す必要に迫られ、たまたま縁があったのがコンサルティング企業のマッキンゼー・アンド・カンパニーでしたが、ここで初めて、日々の仕事に楽しさと刺激を感じました。目の前の課題に対し解決策を練るという行為自体が面白く、今まで経験したことのないフィット感を覚えるとともに、世界的に名の通った人気企業で働いていることへの自己満足感もありました。ところが「自然体の私でいいのだ」と錯覚したことで努力を怠り、会社が期待する人材像と私の実像とが徐々にずれ始めるように。仕事の成果とは周りが評価するものであって、自分が満足すればよいというものではないと、当時の私はまだ理解していなかったのです。会社から「不合格」を突き付けられ、入社から3年半でマッキンゼーを後にしました。

留学時代は勉強に追い込まれることも。「ストレスの積もり具合に自分で気付けるようになったのは、あとあと役立ちました。仕事は大切だけれど、一方で“たかが仕事”。それで健康を害しては意味がないですから」

~28歳から今~ 子育てという“もう一つの仕事”を得たことで仕事相手との向き合い方にも変化が

製薬会社のノバルティスに転職し、翌年35歳で一人目を出産しました。子どもに恵まれたことはとてもうれしかったのですが、ビジネススクールやマッキンゼーで知り合った同年代の仲間たちが役職を得てバリバリと働いているのに、私は家で赤ん坊におっぱいをあげている。正直、「つまらない!」と思いましたね。仕事に復帰した後も、育児に時間とエネルギーをとられてフルスイングで仕事ができない。キャリアでの足踏みをひしひしと感じ、友人に会うたびに「勤務時間が半分でおもしろい仕事、世の中にないかな」と口癖のように訴えていました。

その後、ネスレへの事業売却に伴う統合作業の渦中の時期に、二人目を出産。今年、上の子は11歳、下の子は7歳になりますが、育児と仕事の両立はいまだにキツイと感じます。小学生になると手が離れるイメージですが、実際は、勉強へのやる気を高めたり友達関係の悩み事を聞いたりと、他人には任せにくい「親の仕事」がむしろ乳幼児期より増えました。

一方で、育児というもう一つの仕事を得たことは、貴重な学びをもたらしてくれました。子どもを持つ前の私は、ものごとを論理的に計画し、最善の着地点へと導くことを得意としていましたが、子育てというのはマネジメントできず、予定すら立てられない分野。この対極の世界を経験したことで、“人とはそもそもコントロールできないもの”という前提に立って仕事に臨めるようになったのは、大きな収穫だと思います。

子育てという物理的・時間的な制約がある状況の中でも、やりがいを持って仕事をしたいという気持ちはずっと変わらずに持ち続けていました。海外転勤の可能性もあるネスレでの仕事に限界を感じ始めていたとき、たまたま声をかけられたのが今の会社でした。私自身が「ほぼ日」のファンだったこともあり、転職に迷いはありませんでした。

自社の主力商品である「ほぼ日手帳」を愛用。ところどころに長女のお絵描きがあり、“ママの似顔絵”が描かれたページも。

~28歳の働く女性へのメッセージ~ 現状を直視し、違和感から目を背けないこと
自分の物差しを見つけることが日々のやりがいの源泉になる

私にとって仕事のモチベーションとは、組織内で上を目指していくことでも、ましてや社名や肩書でもなく、「自分がワクワクできるか」「知的好奇心が刺激されるか」という点のみ。 これが、数度の転職と長い歳月を経てようやく得た私の判断基準です。世間の評価に左右されることなく、こうした自分の“物差し”を持つよう意識することを、今28歳の人たちにはすすめたいですね。

そのためには、自分の現状から目を背けないこと。もしも今の仕事や職場に対して何らかの違和感を覚えているのならば、それに気づかないふりをするのではなく、違和感の原因をしっかりと直視することが大切です。私の場合は結果的に複数回の転職を重ねることになりましたが、今いる場所で折り合いをつけながら、自分にとって大切なことを探っていくという選択肢もあるでしょう。自分の物差しを見つける過程自体も、人それぞれの道があっていいのです。

加えて、体力も自由度もある今のうちにこそ、失敗を恐れずにさまざまな経験を積んでほしいと思います。時間と労力を注ぎ込んだことが無駄に終わったり、痛い思いをしたりすることもあるでしょう。そうした経験をたくさん積んでおくことは、今後、育児などで時間の制約が出てきた時に、「この選択肢はダメだ」と早い段階でジャッジする力につながり、無駄打ちを減らせるからです。

現在の会社に転職して5年半が経ちますが、自分の内にある情熱と動機を傾けて手掛けることができる仕事は心底面白いと実感しています。紆余曲折の長い歳月を経て、40代になって初めて「私はこういうことがやりたかったんだ!」と思える仕事にようやく巡り合えた。その事実もまた、日々のやりがいの源泉になっています。

仕事において大切にしているのはフェアであること。「誠心誠意で取り組んだと自分自身で思えたならば、経験はすべて将来の糧になるはずです」

今、28歳の自分にアドバイスをするとしたら?

結婚もして、海外留学もして「私の人生って素敵!」と勘違いしていた時期。「謙虚になれ」「周りの人の言葉に耳を傾けろ」と言いたいですね。留学先で、世銀へのあこがれと現実の落差に直面したことに触れましたが、そもそも真剣にその進路を考えるのであれば、日本にいるときから世銀の実情を知る先輩や経験者に話を聞くなり、機会は作れたはずです。そうした努力を何もせず、無駄に行動力があるばかりに、自分の中の思い込みや妄想だけで突っ走っていたのが当時の私。アドバイスというより、目を覚ませ!と叱咤したいですね(笑)。

編集後記

「試行錯誤したっていいんだと、読者の皆さんに感じていただければ」と、模索した日々についてユーモアを交えながらざっくばらんに語ってくださった篠田さん。華々しいキャリアとは裏腹に、その飾らない人柄からは、自分の直感に正直に、そしてそれぞれの場面でひたむきに仕事に取り組んできた道のりが伝わってきました。

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