Age28 ~28歳から、今の私につながるキャリア~
掲載日:2017年2月20日
更新日:2020年8月24日
未知への挑戦を繰り返してこられたのは“人に有益な情報を伝えたい”という変わらない思いがあったから
これまでのキャリアにおいて、大手企業からベンチャー企業まで幅広い組織の中で広報に携わってきた千田絵美さん。プライベートでは働くママのロールモデルをシェアできるコミュニティの場「パワーママプロジェクト」を立ち上げ、2016年にはPR会社・株式会社フロントステージを設立。30歳までにキャリアを積むために、がむしゃらに働いた20代を過ごしたそうです。広報職で成果をあげることに奮闘した28歳当時の思いや、女性のキャリアに対する考えを語っていただきました。
自分に合った仕事探しの
ヒントを見つけよう
株式会社フロントステージ 代表取締役千田 絵美さん
1980年山口県生まれ。大学卒業後、小学校教諭となる。その後、フリーペーパーの広告営業を経て2006年に上京。同年、ピザ・すしなどの宅配総合サイト「出前館」を扱う夢の街創造委員会株式会社へ広報・社長秘書として入社。2008年、株式会社ドクターシーラボへ転職。結婚し、2010年に第1子を出産。2013年には、最短2分で無料オンラインストアが誰でも作成できる「STORES.jp」を運営する株式会社ブラケットへ転職。ブランディング構築に携わりながらPRマネージャーとして活躍。2016年、広報・PR事業をメインとする株式会社フロントステージを設立し、代表取締役に就任。同時に、働くママのコミュニティを広げる「パワーママプロジェクト」の活動にも注力している。
~28歳の時~
“伝えたい”その想いを軸に未経験だった広報職にチャレンジ
「結果がすべて」と、がむしゃらに取り組んだ日々
小さいころにあこがれていた職業、それは小学校の先生でした。その夢をかなえるため、大学時代に教員免許を取得し、卒業後は晴れて教師の職に就きました。しかし、実際に仕事を始めると、「時間割に縛られる事は自分には向いていない、全く違う仕事に就こう」と思い、すぐに転職を決意しました。そこで選択したのが広告営業の仕事でした。営業経験はビジネスパーソンとしての基礎を身につけるのに役立つと思ったこと、そして、広告を通じて「何かを伝える」という仕事に魅力を感じたことが、広告営業を選んだ理由です。
フリーペーパーに掲載する広告をお客さまにご提案していくのは、販売スキルを磨く苦労もありましたし、営業職そのものの体力的なハードさも経験しました。つらさを感じるときもありましたが、実績をあげることで自分に対する評価が高まり、自信につながっていきました。半面、ともすれば気持ちが仕事一色になってしまいがちで、女性として重要なライフイベントである「結婚や出産が後回しになってしまうかもしれない」と感じて、悩んだ時期もありました。
そう感じたとき、もともと持っていた“人に有益な情報を伝えたい”という気持ちを活かすことができ、さらに、ライフイベント後も長く活躍できる仕事に就きたい、というおもいが強くなってきました。そのとき「広報」という仕事が頭をよぎり、「私が本当にやりたかった仕事はこれだ!」と直感し、また転職へと踏み切りました。もちろん広報職は未経験だったので、面接は15社ほど受けました。最終的に「出前館」を運営する夢の街創造委員会株式会社を選んだのは、私が入社したらそれまでなかった広報の部門をつくると言ってくださったから。そのときは本当にうれしかったですね。
キャリアを積むことばかり考えていた28歳
実はこのとき、夢の街創造委員会は2カ月後に上場を控えたタイミング。そこで私に課せられたのは社長秘書と広報という2つの仕事でした。最初は、社長のスケジュールをダブルブッキングしてしまったり、未熟さから会社をPRするチャンスを逃してしまったりと失敗ばかり。でも、「未経験だからこそ、何も恐れるものはない」という意識で、出版社に自社商品を扱った雑誌の企画を自ら持ち込むなど、さまざまな仕掛けにトライして、世の中へ情報を発信する面白さを体得することができました。
そして、夢の街創造委員会で2年が経ったころ、「社長秘書との兼務ではなく、広報という仕事に全力を注いでみたい」と思い始め、ドクターシーラボという大手化粧品会社へ転職しました。この会社では、広報職として特にTVの露出回数を強化するミッションを与えられました。その時、28歳だった私は、「成果を誰よりも早く出したい!」という焦りがあったため、独りよがりな行動ばかりして、間違った方向に向かって突き進んでいたと思います。周りの人に頼ることを避け、自分の力だけで実績をあげることばかり考えながら仕事をしていました。なぜなら、28歳の自分は「結婚や出産後も活躍し続けられるように、30歳までに実績をあげて、キャリアを積んでおくべきだ」という思いが強すぎたからです。
「子どものとき、母が仕事で単身赴任をするという、珍しい家庭環境に育ちました。だからこそ、自分が母親になったときには子どもとの時間を増やせる働き方をしたい、という思いがありました。ですから、さまざまな働き方を選択できるフリーランスや起業はもともと視野に入れていました」
~28歳から今~
子育てから得たことは、人に頼るという選択肢
一人でこなすことがカッコいいのではない、と学ぶ
キャリアを積み重ねていく中、プライベートでは29歳のときに結婚。同時に子どもを授かったのですが、うれしい半面「仕事に集中したい」と考えていた時期でもあったので、「仕事を失うのではないか」という不安も強く感じました。このとき、化粧品会社に転職してまだ1年足らずでしたから、周りに迷惑をかけることがないよう、以前よりも仕事への意識が高まりましたね。育児休暇からの復帰後は、子どもが熱を出した時に対応してもらえる保育施設を探して、前もって手配しておくなど、「絶対に育児と仕事を両立するんだ」というイメージを固めていました。
しかし、いざ子育てをしてみると、保育園に預けるのをためらうほど娘がかわいくて仕方がありません。そこで意識が変わったんです。それまでは、一人でやり遂げることで周りに迷惑をかけない、と思い込んでいたのですが、育児と仕事をうまく回していくには、人に頼ることを選択肢に入れ、そのための情報共有をすることが大切だと思うようになりました。それをきっかけに「人に頼む」こともできるようになりましたし、また仕事全体を客観的に見ていく力も身についたと思います。
それから2年が経ち、育児と仕事の両立にも慣れてきたころ、また、今後のキャリアを考え直すことが多くなりました。育児休暇や時短勤務を快諾してくれた大手企業の待遇には、非常に感謝していたのですが、もう一度、大手ではできない「フレキシブルな仕事のやり方にチャレンジしたい」という気持ちが高まりました。そして2013年に転職を決意し、「社員数10人以下の会社」「自分が共感できるサービスを展開している会社」「スタートアップ企業であること」、この3つの条件を決め、転職活動をスタート。認知度が低いサービスを世の中へ発信することを得意とし、また、それにやりがいを感じる私は、初めて広報職を学んだ「出前館」の経験を活かすべく、株式会社ブラケットに転職することを決めました。
ワーキングマザーのロールモデルを増やすと決意
ブラケットでは、誰でも気軽にネットショップを作れるWebサービス「STORES.jp」を広めるために、自社のユニークな社員たちを商品化したさまざまな企画を発信していきました。例えば、「社員が豆まきに行きます」や「社員の書き初めを売ります」といったもの。実際に値が付いて購入していただくことがダイレクトな成果となって返ってくる感覚で、活動するエネルギーを与えられているように感じていましたね。「お母さんがイキイキと働いている姿を見せることは、子どもに良い影響を与える」という考え方を出産前から持ち続けていたこともあって、ワーキングマザーがメリハリを持って職場で活躍することは、会社のイメージアップにもつながる、と確信するようになりました。
そこで、「世の中には、仕事も育児も前向きに頑張っているママたちがたくさんいるはず。そういうロールモデルを増やして、ワーキングマザーの生活を活性化する手伝いをしたい」と思い、プライベートで“パワーママプロジェクト”を発足させました。これは、ワーキングマザーのロールモデルのインタビューを主にオンラインでシェアするとともに、ワーキングマザーたちが自分だけで悩まずに、思いを共有することで元気になれるリアルな場も用意しています。参加したママたちがとても喜んでくれて、その姿にこのプロジェクトの手応えを感じました。社会的にも、現在は女性の活躍を推進する大きな変化の時代となっていますので、このプロジェクトがさらに注目されることで、女性の活躍がより一層盛り上がるとうれしいですね。
毎年、“最も多くの人にパワーと勇気を与えたワーキングマザー”を「ワーママ・オブ・ザ・イヤー」として表彰するパワーママプロジェクト。第3回となった2016年12月の表彰式で、主要メンバーたちと記念の1枚。
~28歳の働く女性へのメッセージ~
28歳は仕事やプライベートで悩みの多くなる時期
画一的な情報にとらわれず自分自身を見つめることが大切
上昇気流に乗る会社、ブラケットに身を置いていたことで、また「何かにチャレンジしたい」という気持ちが高まってきました。そのころすでに、独立を視野に入れていたので、フリーランスになることも考えましたが、「組織をゼロからつくる」ことに興味を感じていたので、起業することを決意しました。一企業の代表となって、社員教育から始めてみたいという思いは、教師を経験したせいでしょうか、以前から持っていましたね。そして、まだ形のない事業を模索してつくり上げていく、その面白さが大きなモチベーションとなりました。振り返ってみると、自分のやりたいことに全力で立ち向かった28歳までの自分が、その後の結婚や出産を通して働き方を見つめ直し、周りの人に頼れるようになった。それが私の人生において一番の変化だったと感じています。
ただ、ひとつ変わらないものがあるとすれば「人に有益な情報を伝えることで、誰かが喜んでくれることにやりがいを見いだす」という私の思い。起業したばかりの今は、毎日のタスクをこなすことで精一杯ですが、命をかけて携われるほどの“居場所”をつくることができたことを考えると、これまでの努力はすべて無駄ではなかったと証明されたような気がします。
女性にとって28歳という年齢は、仕事やプライベートで悩みの多くなる時期だと思います。私が今思うのは、その時期に「自分がなりたい姿を考える時間を設けるべき」ということ。夢や目標が持てないからといって焦り、本当にやりたいことを見失ってしまってはもったいないですよね。情報があふれているこの時代だからこそ、画一的な情報にとらわれすぎて、「自分も他人と同じ生き方をしなくてはいけない」と苦しむべきではないと思います。28歳の時期には、「焦らず、自然体の自分で大丈夫!」という自信を持って、自分自身を見つめることが大切なのではないでしょうか。
「今後は顧客やメディアの方など、関わってくださる方に価値を提供しながらフロントステージを大きくしていくことが目標です。今は分からないことばかりですが、自分が代表を務める、という“やりがい”を実感しています」
自分の能力に自信が持てず、「できない、どうしよう」とマイナスな思考に時間を割くよりも、「実力がないのだからできないのは当たり前。人を巻き込みながら自分のスキルを磨けば、結果は必ずついてくる」それが、あのころの自分に言いたい言葉ですね。周りに迷惑をかけるのは恥だと思い、かたくなに人を頼ることをしなかった28歳の私が聞いたら、まだ理解できないかもしれませんけどね。
「『育児も仕事も両立していてすごいですね』と言われることがありますが、私は目標がないとやる気が起きないタイプなので、決めた目標に向かって突き進んでいるだけなんですよ」と語る千田さん。自然と周りを元気にさせるパワーの持ち主である千田さんが、ますます女性が活躍できる場を広げてくれるかもしれない、そういう期待のふくらむ、活気に満ちた取材となりました。
「自分らしいキャリアを生きる」先輩からのメッセージ
Age28 28歳から、今の私につながるキャリア Indexへ
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#35
何が正解かなんて誰にも分からない
大切なのはとにかく精いっぱい考えて悩んで、自分自身で決断すること
長野 智子さん 報道キャスター/ハフィントンポスト日本版編集主幹 -
#34
どんな仕事にも「私が関わる意味」を刻み続けたい
その積み重ねが信頼やチャンスをもたらしてくれる
山川 咲さん「CRAZY WEDDING」創設者 -
#33
価値観や優先順位はみんな違って当たり前
「自分の物差しを持てているか」を問い続ける
中根 弓佳さん サイボウズ株式会社 執行役員・事業支援本部長 -
#32
未知への挑戦を繰り返してこられたのは“人に有益な情報を伝えたい”という変わらない思いがあったから
千田 絵美さん 株式会社フロントステージ 代表取締役 -
#31
「やったことがない」は、「やらない」理由にはならない
何歳になっても仕事こそが私を成長させてくれる
平田 静子さん
株式会社サニーサイドアップキャリア 代表取締役社長 -
#30
働くママにとって、地域のつながりはセーフティネット
当事者として実感した28歳は私のキャリアのターニングポイント
尾崎 えり子さん
Trist 代表/株式会社新閃力 代表取締役 -
#29
過去4社での経験を糧に「フルグラ」の事業戦略に尽力
大切なのは、悩んで考え抜いたその先にアクションを起こすこと
藤原 かおりさん
カルビー株式会社 マーケティング本部 フルグラ事業部 事業部長 -
#28
「同じ女性」「同じ28歳」でも一人ひとりはみんな違う
他人と比べて苦しむのではなく、違いを楽しみ面白がる発想を
深澤 真紀さん
コラムニスト/淑徳大学人文学部客員教授/企画会社タクト・プランニング代表取締役社長 -
#27
20代も今も、変わらず悩み続けている
違うのは、壁を越えた先に成長があると今は思えること
今井 道子さん 「PRESIDENT WOMAN」編集長 -
#26
28歳の時の転職でキャリアの軸が定まった
その後も迷わず進めたのは、あの決断があったから
鈴木 貴子さん エステー株式会社 取締役 兼 代表執行役社長 -
#25
自分という限られたリソースの中で目的(What)と手段(How)を磨き
前に進んでいくことこそが、私にとってのキャリア
槌屋 詩野(つちや・しの)さん 株式会社HUB Tokyo 代表取締役 -
#24
肩書にとらわれず、自分が果たすべき役割に集中
見えてきたのは“自分らしい”リーダーシップのあり方
井川 沙紀さん ブルーボトルコーヒージャパン合同会社 取締役 -
#23
過去の自分が何に悩み、どんな思いで決断したのか
その記録の積み重ねが、未来へ向かう支えになる
佐藤 友子さん 「北欧、暮らしの道具店」店長 -
#22
仕事とは、本当の自由を手に入れるための手段
自分の可能性を信じて、チャレンジすることをあきらめないで
柴田 文江さん プロダクトデザイナー -
#21
「WANT」に根ざした選択の方が人は力を発揮できる
自分が「やりたい」と思う気持ちを大切に
藤本 あゆみさん 一般社団法人at Will Work 代表理事 -
#20
真剣に打ち込んだものには、またいつでも戻っていける
だから安心して、その瞬間に一番ワクワクすることに素直に
奥田 浩美さん 株式会社ウィズグループ 代表取締役社長 -
#19
「仕事は長距離走」と覚悟を決めて
築いたキャリアは人生の危機を脱する力になる
川崎 貴子さん 株式会社ジョヤンテ 代表取締役 -
#18
仕事によって「自分という人間」がつくられていく
女性版「週刊文春」発売に至る道
井﨑 彩さん 「週刊文春」編集部次長 -
#17
自分自身で「どう歩くか」を意識し、大切にすることで、
道順は違ってもやがて目指していた場所へと近づいていける
山崎 直子さん 宇宙飛行士 -
#16
仕事も、人生も、発信するほど豊かになる
プライベートでも興味を持ったことにはどんどん手を出してほしい
粟飯原 理咲(あいはら りさ)さん アイランド株式会社 代表取締役社長 -
#15
21世紀のキャリアは「山歩き」のように
どう生きるのかを考えながら人生を味わって
安藤 美冬さん 株式会社スプリー代表 -
#14
人生の分岐点は繰り返し訪れるもの
軌道修正は利くはずだから、「自分が選択した道が一番正しい」と信じて
片山 裕美さん 株式会社幻冬舎 女性誌事業部 部長 -
#13
自らの経験をきっかけに『「育休世代」のジレンマ』を執筆
「発信する人」として多彩な活動を続けていく
中野 円佳さん 女性活用ジャーナリスト/研究者(株式会社チェンジウェーブ) -
#12
チャンスは思いがけない時に、思いがけないところからやってくる
それをつかむかどうかは自分次第
大門 小百合さん 株式会社ジャパンタイムズ 執行役員編集担当 -
#11
28歳のころには想像できなかった仕事をしている
すべてが将来へのプロセスだから、今を悔いなく
甲田 恵子さん 株式会社AsMama 代表取締役社長・CEO -
#10
ビジョンやロールモデルはあえて持たない
「先が見えないこと」を楽しんでいたら発想が自由になり、可能性も広がった
閑歳 孝子(かんさい たかこ)さん 株式会社Zaim 代表取締役 -
#09
もがいていても目の前の仕事と真正面から向き合う
その経験の意味は、後から必ず実感できる
太田 彩子さん 一般社団法人 営業部女子課の会 代表理事 -
#08
キャリアとは自分の「好き」を探す旅
選択肢を増やすためにも前倒しで挑戦を
岡島 悦子さん 株式会社プロノバ 代表取締役社長 -
#07
「やるなら一番素敵に」 という野心を持ち続けよう
経沢 香保子さん 株式会社カラーズ 代表取締役社長 -
#06
“あらゆる沼”に足を踏み入れて、今がある
幸せの見つけ方は一人ひとり違っていいはず
羽生 祥子さん「日経DUAL」編集長 -
#05
まったく興味がなかった社長業が私にとって天職だった
無駄な経験はないと信じて、一歩を踏み出して
太田 光代さん 株式会社タイタン 代表取締役社長 -
#04
遠回りや失敗だと感じていたことが目指すキャリアへの扉を開く鍵に
田島 麻衣子さん 国連職員 -
#03
思い描いたビジョン通りになる人はほとんどいない
目の前の仕事の延長線上にキャリアはできていく
浜田 敬子さん 株式会社朝日新聞出版 アエラ編集長 -
#02
仕事をする上で譲れないものとは?その“物差し”は人それぞれ違っていい
篠田 真貴子さん 株式会社東京糸井重里事務所取締役CFO -
#01
昨日よりも今日、会社の役に立っているか?「やり遂げたい」という“志”を強く持つ
佐々木 かをりさん 株式会社イー・ウーマン代表取締役社長 - more