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Age28 〜28歳から、今の私につながるキャリア〜

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掲載日:2015年6月8日
更新日:2020年8月24日

思い描いたビジョン通りになる人はほとんどいない
目の前の仕事の延長線上にキャリアはできていく

広告の一行コピーで有名なニュース週刊誌「AERA」で女性初の編集長を務める浜田敬子さん。22歳の時に朝日新聞社に入社後、週刊朝日編集部を経て32歳でアエラ編集部へ。新聞社という、いわゆる“男性社会”の中で25年以上活躍を続けてきた浜田さんは、何を思い、どのように仕事に向き合ってきたのでしょうか。輝かしい実績の裏には、女性としての困難やワーキングマザーとしての苦悩もありました。

株式会社朝日新聞出版
アエラ編集部 編集長 浜田敬子さん
浜田敬子さん

1966年生まれ。上智大学法学部国際関係法学科卒業後、株式会社朝日新聞社に入社。前橋、仙台支局を経て、93年に週刊朝日編集部に異動。写真家・篠山紀信さん撮影の表紙や、小説家・林真理子さんによる対談ページを担当した後、99年にアエラ編集部へ。主に女性、雇用、国際問題の分野を担当し、2004年に同誌の副編集長となる。06年に出産して育児休業取得。13年から編集長代理、さらに14年4月には、女性初のアエラ編集長に就任。現在は「AERAワーキングマザー1000人委員会」を主宰し、”保活”や”小1の壁”などをテーマにしたワーキングマザーによるワークショップを開催したり、内閣府や財務省とワーキングマザー代表との意見交換会を開くなど、政策にワーキングマザーの声を直接届ける活動にも取り組む。BS朝日「ザ・インタビュー」のインタビュアーも務める。

~28歳の時~ 「女性だから」という理由で、最前線の現場に行かせてもらえなかった

28歳は、朝日新聞社から週刊朝日の編集部へ移って2年目のころです。当時は主に事件や政治取材を担当しており、何か事件が起これば現場に駆けつける生活。日々、次に何が起きて、どこに行くことになるかまったく読めない状況で、常にワイドショーの最前線にいるような感覚でした。

そしてその年は1995年で、阪神淡路大震災やオウム真理教の地下鉄サリン事件があった年。私としては、何より現場に行きたいと強く思ったのですが、「女性だから危ない」という理由で取材に行くことはできませんでした。今でこそ、女性記者が事件の最前線で取材をすることは当たり前ですが、当時は女性記者自体が少ないということもあり、現場に行けないことも何度かありました。そのたびにとても悔しい思いをしましたね。

そんなころ、林真理子さんの小説の連載が始まると編集長から聞きました。「何か自分の武器を見つけたい」「もっと面白いことを自分で探したい」と、悶々としていた私は、高校時代から林さんのファンだったこともあり、当時の編集長に、林さんの連載の担当編集がやりたいと直談判しました。

小説の連載は半年続き、好評だったことから、次は林さんと有名人の対談企画が持ち上がりました。実はこの対談は、今も週刊朝日で続いています。ちょうど20年になりますね。私は初回ゲストの宮沢りえさんから5年間、約200人の方々との対談の編集を担当しました。この経験を通して、雑誌の中でどのようなものに付加価値があり、面白がって読まれるのか、ということが何となく見えてきました。また、このころに人脈も大きく広がり、それが編集者としての大きな財産となっています。

「週刊朝日の編集部に異動して1~2年は原稿が書けずに苦しみました」。当時は原稿の原型がないほど上司から真っ赤に修正されることもたびたびで、手当り次第、先輩記者のやり方をまねしてみたという

~28歳から今~ 「ママ、いつ編集長を辞めるの?」という娘のひと言。
母親としての働き方に苦悩することも

アエラ副編集長をしていた39歳の時に長女を出産しました。初めての育児に戸惑うことも多く、子どもと向き合うことに必死でしたね。そんなころ、同じ時期に出産した10歳下の編集部員が育休中にFPの資格を取得していたことを知り、「私は今、何の生産性もない日々を送っている…」と感じ、育児ノイローゼ気味にもなっていました。

だからこそ早く復職して、新しい企画をどんどん形にしたいと思っていたのですが、実際に復帰してみると、育児と仕事の両立は想像以上に大変でした。副編集長という立場だったので、企画の打ち合わせや深夜の入稿作業など、どうしても会社にいなければならない仕事も多く、保育園のお迎えなどはシッターさんにすべてお願いしていました。ただ、それでも無理が生じたので、復職して2年目には私の両親に同じマンション内に越してきてもらいました。

ところが娘が小学生になると、「なんでうちのママだけ働いているの?」と言うようになりました。小学校に入って専業主婦のお母さんもいるということを知り、それが娘にとってみれば衝撃だったのだと思います。そして最近は「ママ、いつ編集長を辞めるの?」ということも言うようになり、育児と仕事、それぞれへの向き合い方を悩ましく思っています。

子どもが小さいうちは、平日は保育園で元気に過ごしていれば安心で、休日にいっぱい遊んであげれば大丈夫と思っていましたが、娘の成長に伴って、子どもとしっかり向き合う時期が必要だろうと感じています。今の仕事柄、毎日早く帰ることは難しいので、私と夫とで、平日それぞれ1日ずつは娘が寝る前に帰ると決めています。編集者というと、仕事と育児の両立が難しいというイメージが強いと思いますが、いつまでもこのままでは、優秀な女性たちが育っていきません。彼女たちのためにも、ワークライフバランスが取りやすい環境を作っていきたいと思っています。

1988年5月に創刊。「AERA」とはラテン語で「時代」の意

~28歳の働く女性へのメッセージ~ 今のうちに、経験や知識、人脈など、キャリアの”貯金”をしてほしい

雑誌を作りたいという気持ちで朝日新聞に入社しましたが、アエラ編集長という今のポジションを最初から思い描いていたわけでは決してありません。最近はよく、将来のキャリアビジョンの重要性が取り上げられますが、ずっと先の「ありたい姿」を描いても、その通りになるなんていう人はほとんどいないと思っています。10年後、20年後なんて誰にも予測できない。だったら目の前の仕事を面白がって、一生懸命取り組んで、そこで成果を出していくことが大切だと思うのです。

結局、小さな成果を積み上げてきている人にポジションやチャンスは巡ってくるし、目の前の仕事の延長線上にキャリアはできていくと感じます。私自身も、常に次の仕事としてやりたいことが頭にあって、それを提案してやらせてもらって、という繰り返しでやってきました。

28歳前後の女性にメッセージを送るとしたら、若いうちに目いっぱい仕事をしてほしいということです。もしかしたらやりたいこととは違う仕事をしなければならない時もあるかもしれません。でも自分ではやりたがらない「脇道」にこそ、面白い仕事が転がっているということもあると思います。今のうちに、経験や知識、人脈など、キャリアの”貯金”をしておいてください。仕事について悩むのも、仕事を辞めるのも、いつでもできますが、これらの”貯金”がなければ、辞めても次が見つかりません。小さくてもいいので、「私はこれをやりました」と言えるようなトライアルをたくさんしてください。私もこれからチャレンジしたいことが山ほどあります。とにかく目の前の仕事に向き合うこと、これを続けていきたいと思っています。

「若い時はガツガツして、あざといくらい何でも仕事に結びつけようとするぐらいがちょうどいいと思う」

今、28歳の自分にアドバイスをするとしたら?

当時は、やりたい仕事ができなかったり、別の人に担当を取られたりした時に、自分が女であることを理由にして、腐りそうになったこともありました。でも、人生ずっと「右肩上がり」なんてことはなくて、仕事がうまくいかなかったり、やりたいポジションに就けなかったりすることもあるけど、性別は関係ないということを知っているだけで、少し楽になったかもしれない。28歳の時の自分に言えるとしたら、それかなと思います。

編集後記

女性初のアエラ編集長をされている浜田さんは、きっと自分ならではの育児と仕事の両立法を見つけ、迷いなく働いていらっしゃるのだろうと想像していましたが、娘さんの言葉で苦悩している部分もあるとお聞きして、いちワーキングマザーとして、一気に距離が縮まった気がしました。子どもに後ろ髪を引かれる思いで働くことや、成長過程にある子どもと離れることへの不安など、ワーキングマザーの気持ちを実感されているからこそ、「後に続く女性たちのために環境を整えたい」という言葉に重みが感じられました。

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