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Age28 〜28歳から、今の私につながるキャリア〜

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掲載日:2016年5月30日
更新日:2020年8月24日

仕事とは、本当の自由を手に入れるための手段
自分の可能性を信じて、チャレンジすることをあきらめないで

無印良品の「体にフィットするソファ」や、JR東日本の「次世代自販機」など、暮らしに寄り添うヒット商品を数多く手がけているプロダクトデザイナー・柴田文江さん。デザイナーとして第一線を走り続ける傍ら、美術大学の教授やデザイン賞の審査員など、多方面で活躍しています。そんな柴田さんの、独立したてで進む道を模索し葛藤した20代半ば、飛躍へとつながった30代での転機、経験を重ねる中での仕事観の変化についてお聞きしました。

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プロダクトデザイナー柴田 文江さん

武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科を卒業後、株式会社東芝 デザインセンターを経て、94年にDesign Studio S を設立。エレクトロニクス商品から日用雑貨、医療機器、ホテルのトータルディレクションまで、インダストリアルデザインを軸に幅広い領域で活動。代表的な作品に、無印良品「体にフィットするソファ」、オムロン電子体温計「けんおんくん」、カプセルホテル「9h(ナインアワーズ)」、JR東日本ウォータービジネス「次世代自販機」などがある。毎日デザイン賞、グッドデザイン賞金賞、ドイツiFデザイン賞金賞など受賞歴多数。2003年よりグッドデザイン賞審査員を、14年より武蔵野美術大学教授を務める。著書に『あるカタチの内側にある、もうひとつのカタチ』(ADP)。

~28歳の時~ フリーランスとして「あるべき姿」を模索し悩んだ20代
人それぞれで良いのだ、と吹っ切れたことが転機に

子どものころから絵が好きで、漠然とデザインや美術を職業にしたいと考えていました。大学でインダストリアルデザイン(工業製品のデザイン)を専攻したのは、平面よりも立体のものづくりが自分には合っているように感じたからです。学ぶ過程で医療機器のデザインに関心を持ち、CTスキャナなどの医療機器も手がける東芝デザインセンターに就職しました。いずれは独立したいという希望を強く持っていましたが、当時はまだフリーランスで活動しているプロダクトデザイナーはごく少数で、ましてや女性は私の知る限り皆無。どうすればフリーランスとして活躍できるのか見当もつかず、誰に聞けば良いのかも分からない状態でした。その一方で、仕事自体はやりがいを感じていました。特に、商品がアイデアからカタチになるまでの一連の流れを、大手企業で経験できたことは貴重でした。入社2年後の26歳の時、病気で20日ほど入院したのを機に、退職を選びました。病気という突然の災いを、後で振り返った時に「あれが良い転機になった」「病気をしてよかった」と思えるようにしたいと考えたのです。

華々しい仕事から日の当たらない生活へ

フリーランスになったものの、貯金も仕事のあてもまったくない状態。その後は専門学校の講師をしたり、先輩デザイナーの仕事を手伝ったりしながら、フリーランスで活動するための足掛かりを探っていきました。それまでの会社員時代は、発売時にメディアでも取り上げられるような華々しい商品のデザインに関わっていたのが、一転して日の当たらない下働きのような生活。まるでブロードウェイから裏通りに移ったような落差で、自分で選んだこととはいえ、気持ちは沈みました。あまりに仕事がなくて、街で働いている人を見るだけで落ち込んだこともあります。

経営のことを学ぶために一度どこかのデザイン事務所に入った方が良いのだろうか、それとも企業と契約を結んで力をつけた方が良いだろうか…などと迷いが膨らむ中で、あるデザイナーから掛けられた言葉が転機になりました。フリーランスとしてやっていくにはどうしたらいいのかを尋ねた私に、その人は助言をくれた後、ぽつりとひと言「でも結局は、独立独歩なんだよね」と。その言葉がすとんと胸に落ち、「そうか、人のやり方をなぞっても仕方ないんだ。自分で道をつくるしかないんだ」と気付かされました。そもそも、私が求めていたのは、フリーランスという働き方ではなく、自由にデザイン活動をすること。それがいつしか「フリーランスとは」に縛られていたのです。実は、そのデザイナーと言葉を交わしたのは、後にも先にもその1度だけ。特に親しい間柄でもない人からの、何気ないひと言が突破口となって、迷いが吹っ切れました。

「将来的に独立しようという意志は、学生時代から固めていました。山梨の実家が織物屋で、周りに職人さんが多く、逆に会社勤めの人が身近にあまりいなかったことも影響していると思います」

~28歳から今~ 仕事を通して得られる達成感や喜びは
ほかのものとは比べものにならないほど大きなもの

仕事がなく苦しかった20代の間も、夢をあきらめてしまおうと思ったことはないですね。歯車がかみ合いさえすれば、自分の力を存分に発揮して前に進めるはずだという、根拠のない自信がありました。あちこちのメーカーに営業に回っては空振りに終わることを繰り返す中で、ようやく気付いたのは、デザイナーというのはモノが名刺であり、まずは作品を世の中に出さなければ、仕事の依頼など来ないということ。そこで私が次にとった行動は、デザインコンペに応募することでした。今のようにインターネットは普及しておらず、自分の存在を知ってもらう方法はほかになかったのです。29歳の時、コンペに応募した「起き上がり子法師」の原理を取り入れた体重計がデザイン賞を受賞。それを起点にチャンスが広がっていきました。

「引き受けてくれる人なら誰でも良い」から「他の誰でもなく、この人に頼みたい」に

自分自身がデザイナーであると、ようやく自覚できるようになったのは、コンビのベビー用品や、無印良品の「体にフィットするソファ」を手がけた35歳ごろです。それまでもデザイナーとして活動はしていましたが、「引き受けてくれる人なら誰でも良い」という仕事や、「安いから」あるいは「若いから」という理由で依頼された仕事も少なくなかったと思います。それが次第に、私のデザインを知って納得したクライアントから、指名でオファーを受けることが増えてきました。デザインする人が違えば、できあがる商品は変わり、その商品が企業や社会にもたらす結果も変わってきます。だからこそ「他の誰でもなく、この人に頼みたい」と選んでもらえることがデザイナーにとって非常に大切で、それが実現し始めたのが30代だったのです。

その後30代、40代と経験を重ねた今、「仕事」という感覚はどんどん薄れてきている感じですね。月曜の朝にオフィスに向かう時はワクワクしますし、休暇を過ごしていても早く会社に行きたくなってくるほど。それはきっと、仕事を前のめりに楽しむ姿勢が、年を重ねるごとにどんどん強まっているからだと思います。仕事によって得られる達成感や喜びというのは、趣味や遊びで得られるそれとは比べものにならないくらい、大きなもの。そんな、何ものにも代え難い喜びを何度も経験するうちに、いつしか仕事が仕事ではなくなってきているのかもしれません。

2015年からグッドデザイン賞の審査副委員長に就任。「デザインのことをもっとみんなに知ってほしいという思いがあります。それに加えて、デザインの世界で長く働かせてもらっている以上、私自身も一員として何かそのコミュニティーの役に立ちたい。例えるなら、村の消防団のような責任感ですね」

~28歳の働く女性へのメッセージ~ 28歳は、まだ何にだってなれる歳
自分の特技や特性が見えてくる、ここからが本当のスタート

母校の武蔵野美術大学で2年前から教壇に立っています。学生の日々の成長がよく見えるので、とてもやりがいがありますね。卒業して社会に出ていく学生たちに伝えているのは、「人は、本質的な自由を獲得するために働く」というメッセージです。ともすると、就職し、仕事をすることは、「自由を奪われること」と捉えられがちですが、そうではないと私は思います。経済的にも精神的にも自立して自分の人生を歩んでいくことこそが自由であり、働くことで、本当の自由が得られるのではないでしょうか。私自身、20代や30代のころよりも、今が一番自由であり、一番楽しいと、自信を持って言えます。

28歳のころの私は、「もう28歳」と焦りを感じていたけれど、今の私から見ると、28歳は「まだ何にだってなれる歳」。経験を積む中で徐々に自分の特技や特性が分かってきて、客観的に自分を見られるようになる年齢です。いわば、ビジネスパーソンとしてようやく成人式を迎えてスタート地点に立つようなもの。まだまだ自分の可能性を信じて、前のめりにチャレンジすることをあきらめないでほしいですね。仕事においてもそれ以外でも、行ったことのない場所を訪れたり、人との出会いを広げたりと、未知のものに自分から積極的に関わっていくことは、人生を豊かにする上でとても大切。それは、本質的な自由に一歩近づくことにもつながると思います。

私自身も今後、デザイナーとしてまだ経験していないことにどんどんチャレンジしていくつもりです。デザインとは、人が人らしく暮らしていくための知恵。ものづくりにとどまらず、例えば街づくりにおいても、「人間らしい暮らし」と、行政や制度などの「仕組み」との間に立って、両者をつなげていく役割をデザインは果たせると考えています。デザイン的な視点を活かして、より豊かな暮らしを提案する活動をこれからも続けていきたいと思います。

プロダクトデザインの世界では女性は今も少数派。「最初は『女の子デザイナー』として扱われたり、デザイナーが女性というだけで女性向け商品と決めつけられたりするのがすごく嫌だったのですが、途中から気にならなくなりました。デザイナーは、それぞれの性別の良いところがそのまま出せる仕事。能力面での性差はないと実感しています」

今、28歳の自分にアドバイスをするとしたら?

目の前のことで手一杯だった28歳のころ。「自分の足元だけじゃなく、もっと広い世界を見て仕事をした方が良いよ」と声を掛けたいですね。当時の私は、ものづくりを日本の中でだけ捉えていたけれど、ものをつくるというのは、国や言語も超えた共通の営み。例えば海外のいろいろな国に足を運んで、新しい素材や技術を自分の目で確かめるなど、自分の世界を広げる方法はいくらでもあったと今なら分かります。だからこそ現在の私は、当時の反省も込めて、常に視野を広く保つことを意識しながらデザインに向き合っています。

編集後記

「デザイナーの仕事はオンオフの境目があいまいで、生きていることがそのまま仕事に重なっていくところがあります」と語ってくださった柴田さん。多くの人を惹きつける柴田さんのデザインには、迷い葛藤した20代の日々も含め、柴田さん自身が歩んできた道のりが、すべて礎となって反映されているのかもしれません。

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