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Age28 〜28歳から、今の私につながるキャリア〜

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掲載日:2015年11月9日
更新日:2020年8月24日

28歳のころには想像できなかった仕事をしている
すべてが将来へのプロセスだから、今を悔いなく

地域で子育てを支え合うプラットフォーム「子育てシェア」を提供する株式会社AsMama(アズママ)。代表取締役社長の甲田恵子さんは、33歳で同社を立ち上げ、子育てでの助け合いを核に地域共助を実現させるという新しいビジネスモデルを創造しました。そんな甲田さんも、20代のころはやりたい仕事を求めて転職を続けていました。苦難を乗り越えてきたからこそ語れる甲田さんからのメッセージをお伝えします。

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株式会社AsMama 代表取締役社長・CEO甲田 恵子さん

1975年大阪府生まれ。関西外国語大学3年生在学中にフロリダアトランティック大学への留学を経験する。卒業後は、特殊法人環境事業団に就職。役員秘書と国際協力の関連業務を兼務した。2000年、ニフティ株式会社に入社。海外事業部に所属し、渉外・マーケティングに携わる。結婚、出産を経て、05年の復職とともに上場準備室に異動し、IR担当に。07年、ベンチャーインキュベーターのngi group株式会社に入社。広報・IR室長を務める。09年3月に退職後、職業訓練校での経験に触発され、同年11月に株式会社AsMamaを創設。著書に『子育ては頼っていいんです~共育て共育ち白書』(神奈川新聞社)、『ワンコインの子育てシェアが社会を変える』(合同出版)。

~28歳の時~ こんなに仕事をしているのに、なぜ評価してもらえないのか
実績を認めてもらおうと必死だった

大学卒業後、環境省(当時)の外郭団体に就職しました。大学時代に留学を経験していたので、英語力が活かせる仕事を希望していたのですが、その団体では新人の配属は役員秘書と決まっていました。そこで私は自ら希望して国際協力室の仕事を兼務させてもらうことにしました。当時は「秘書の仕事は自分に合わない」と思っていましたが、役員秘書という仕事柄、企業のトップの人たちの仕事を間近に見る機会が多く、このことが私の仕事観に影響していることに、後で気がつきました。

入社して3年目、これからはインターネットによって世の中が変わっていくと思っていたころ、富士通株式会社の子会社だったニフティ株式会社が海外事業部の中途採用をしていると知り、転職を決意しました。国内限定のインターネットサービスだったニフティが、海外の企業と提携を始めた時期で、入社後は渉外・マーケティング担当として、欧米各国を飛び回っていました。英語を武器に海外と日本の交流に携わるという、まさに自分がやりたかった仕事に就き、ちょうどそのころに社内結婚し、28歳の誕生日を迎えました。

一見、公私ともに充実しているような時期でしたが、実は悩んでいました。課長よりも部長よりも仕事をしているつもりになっていただけに、なぜ私には肩書きがないのか。収入も期待ほどではない。実績に応じた評価をしてほしいと必死だったのを覚えています。

子どもができてからは、育児と仕事の両立に悩む毎日

そして、そんな時に妊娠が発覚。子どもはいずれ欲しいと思っていましたが、いざ妊娠が分かると心の準備ができていなくて混乱しましたね。さらに出産後は、自分の思い通りにはならない子どもを相手に苦労する日々。育休を経て、上場準備室のIR担当として復職したのですが、未経験の仕事だったので証券アナリストの資格取得を目指したり、IR Certified Plannersの上級職を取得するなど、躍起になって勉強もしました。「熱が出ました」という保育園からの電話におびえながらもハードに働く毎日…。育児と仕事の両立に悩みながら過ごしていました。

「企画を提案する時、課長を飛ばして部長に話してしまうなど、自分勝手なところがありましたね」と28歳のころを振り返る

~28歳から今~ 「仕事か子育てか」究極の選択を迫られて仕事を辞めた女性たちの現実を知り、
自分のやるべきことが見つかった

ニフティでIR・広報を担当していたころは、会社が「これから何をやろうしているのか」を世の中に発信していました。その反応が株価などに表れ、会社の価値が決まり、経営陣の判断材料になっていきます。広報の重要性を知った私は、「ある程度大きくなった会社よりも、これから成長していくベンチャーにこそ自分にしかできない広報の仕事があるかもしれない」と思うようになりました。そこで、2007年にベンチャーインキュベーターのngi group株式会社に転職。IR室長として入社したのですが、広報室がなかったため、部署を立ち上げて広報室長を兼務しました。60人規模の小さな組織で私の責任下にある仕事が多く、子どもが熱を出しても主人に任せて仕事に没頭していました。

ところが09年1月、突然、全社員が会議室に集められ、社長の交代と人員整理を告げられました。その日からIR・広報室長である私宛の電話は鳴りやまない状況に。3月に退社するまで、個人投資家やメディアへの対応に追われていました。一段落してふと考えたのは、それまで仕事第一でやってきたけれど、自分の人生はこのままでいいのだろうかということでした。「うちに来ませんか」と声をかけてくれた会社もありましたが、新しい職場でも同じように仕事に没頭していたら、子どもは何歳になってしまうのだろうと考えたのです。そこで一度リセットしてみようと、転職はせず職業訓練学校に入ることにしました。

仕事と子育ての両立に必要なのは昔ながらの地域共助

そこで見た現実が、AsMamaの創設につながります。職業訓練学校には企業を退職した後に再就職を目指す主婦がたくさんいました。「仕事か子育てか」という究極の選択を迫られ、子育てを選んで退職した女性たちでした。社会でバリバリ働いているころは、関心を寄せることがなかったことでしたが、現実を目の当たりにして、私にできることはないだろうかと考えるようになりました。

仕事と子育てを両立するためには子どもを預ける先があることが重要ですが、保育園さえあればいいかというと、そうではない。私自身、仕事をしている時に、急に残業をしなければならなくなったり、熱を出した子どもの預け先探しに苦労した経験があります。そんな時に頼りにしたかったのがママ友や近所の知り合いでした。頼り下手な私でしたが、ある時、顔見知りの家で待っている子どもが、自分の家にいるように安心して過ごしていることに気づいたこともありました。

そんな中、ある日ブログで頼れてハッピー頼られてハッピーという人たちが出会える場や頼り合える仕組みがあれば子育てが孤独なことに端を発する問題のほとんどは解決されるんじゃないかと発信したところ、多くの人に共感されたのです。親が本当に必要としているのは、顔見知り同士の頼り合い、昔ながらの地域共助だと実感しました。しかし地域共助のシステムづくりなんて誰もやっていない。だったら私がやろうと。そこで、地域交流から始める「頼り合い」のインフラ事業を展開するAsMamaを立ち上げました。

「子育てと向き合ったことで、AsMamaのようなサービスが必要だと発見することができました。
社会の中で、自分がやるべきことが見えてきたのが30代ですね」

~28歳の働く女性へのメッセージ~ 失敗を恐れずに、やれることは全部やろう
30代以降の自分を支えるのは20代の実績

28歳のころは、とにかく必死で働いていましたね。そのすべての経験が今につながっています。当時は、チャンスは全部拾って、やれるものは全部やるようにしていました。寝る間も惜しんで目の前のことに集中していましたね。失敗もたくさんしましたが、それで良かったと思っています。その経験を次に活かせばいいと割り切っていました。20代のうちに、「ここまでいける」という自分の限界を知ることが必要で、それが分かっていれば、どんな状況になってもしっかり立っていられると思うんです。

AsMamaを立ち上げたことにも、20代のころの経験が活きています。ベンチャーの投資会社で働いていたこともあり、起業すること自体は身近でしたが、事業を3年続けることの厳しさを目の当たりにしていました。そして私はとても慎重派なので、起業することを迷わなかったと言ったらうそになります。でも、出産後の離職や子育ての問題を抱えているママが多いことは明らかで、この課題の解決はビッグビジネスにつながるという手応えを感じていました。広報やIRの経験があったからこそ、世の中から反響のあるビジネスは成功するという自信を持つことができたんですね。

30代になれば、自ずとキャリアのステージは変わってくると思います。その時に自分を助けてくれるのは、20代のうちに必死で働いてきた結果である自分の”容量”や人脈。20代の時に逃げてしまったら、必ず後悔するはずです。私は今年40歳になりますが、28歳のころには想像もしていなかった仕事をしています。「実績を認めてもらいたい」と必死だった20代の時と違って、今はAsMamaの社員や事業を応援してくれる人たちに支えられながら、一緒に前に進んでいます。40歳を迎える今も通過点。夢は常に更新していこうと思っています。

2013年に「新事業創出のための目利き・支援等育成人材育成事業」(経産省主催)に選ばれたAsMama。
「今後はミドル・シニア世代ともつながり、介護や障害者支援の頼り合いの仕組みをつくっていきたいと思います」と甲田さんは語る

今、28歳の自分にアドバイスをするとしたら?

ちょっと頑張っている気になっているかもしれないけど、「まだまだ頑張れるよ」と言いたいですね。「そんな余裕のある顔をしていないで、もっとがむしゃらになれ」と鼓舞したい。もちろん、当時は必死で働いていたんですよ。でも、今から考えればまだまだすべての視点が自分中心だし、これからもっと大変なことが待っているとアドバイスしたいです。

編集後記

28歳から数えて、干支がちょうど一回りした甲田さん。その間の波瀾万丈な経歴を明るく、ユーモアを交えながら語ってくれました。言葉の一つひとつが力強く、AsMamaを大きく成長させている企業トップらしくもあり、優しい笑顔はママの顔でもあり、そのギャップが甲田さんの人間的魅力。「またお会いしたい」と思う女性でした。

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