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- 内定が出たのは4年生の11月。学校の就職課から紹介されたdodaチャレンジへの登録が、就活の大きな転機になりました!
- 私は、先天性の下肢障害があり、小学3、4年生の頃から車椅子を利用しています。学校の登下校は家族の車で送迎してもらい、ゲーム好きの友達と話をしたり、楽しく学生生活を過ごしていました
身体障害新卒 -
- 年収はダウンしても、前向きな転職をー。ADHDをオープンにして「心理的安全性」の高い職場ではたらくことを選択
- 私は大学~大学院で法律を学び、地方銀行に入行しました。銀行の法務部で3年勤めたのですが、少しずつ金融業務は自分には合わないと戸惑いを感じることが多くなりました。
精神障害 -
- 10年続けた会社からはじめての転職。将来を見据えて希望した、念願の「正社員生活」を手に入れました
- 私は、先天性の下肢障害、視覚障害、体幹障害、ぼうこう直腸障害があり、身体障害者手帳の等級は1級です。視覚障害については、左目はほぼ見えず、右目も視野が半分欠損しています
身体障害完全在宅勤務 -
- 美容師から完全在宅勤務のコールセンター業務へ転身。「働き方」を転職の軸にしたら、理想の職場に出会うことができました
- 私は専門学校卒業後、美容師として社会人のスタートを切りました。しかし、はたらき始めて1年経った頃、分類不能型の膠原病を発症し、それまでのように朝から晩まで立ち仕事ができる状況ではなくなってしまいました
身体障害完全在宅勤務 -
- 転職活動期間1年3ヶ月。電動車いすの利用により通勤負担を軽減し、キャリアアップを実現しました
- 私が、痙性対麻痺を患ったのは高校生のときで、大学3年生で障害者手帳を取得しました。専攻していた情報システムの知識を活かし、新卒ではシステムエンジニアとして就職しました。
身体障害 -
- 週3日、1日4時間半の超短時間勤務を実現して4年。はたらいて、社会とつながる喜びを
- 「自分にできることを見つけて、はたらきたい」そう思ったのは二十歳のときでした。私は、高知県の実家で農業の稼業を継ぐため農業高校に通い、
身体障害時短勤務完全在宅勤務高知 -
- 新卒で入社した会社を1年で退職。「障害者雇用枠」で転職した今、毎日楽しくはたらいています
- 私がいま勤めている会社は2社目で、社風も職場環境も自分に合っていて、楽しく毎日が充実しています。大学卒業後に新卒入社した前職は
精神障害 -
- 障害者雇用枠ではたらきながら、徐々にキャリアアップ。自分に合ったはたらき方を選択してきました
- 私が統合失調症を発症したのは10代の頃で、中学2年生から通院をしはじめ、しばらくは療養をしていました。障害者手帳を取得したのもその頃です
精神障害 -
- 40代で、一般枠から障害者採用枠にキャリアチェンジ。障害配慮と将来の安心を優先に
- 大学では法律学を専攻し、卒業後は国家公務員になりました。そして、仕事を始め4年経った頃、選抜試験を受験して念願の中央省庁へ異動しました。しかし、異動先は連日残業で寝る間もなく、
精神障害滋賀 -
- 障害の自己理解を深め、諦めかけていた「会社員」へ再出発。フル在宅勤務で夢を実現
- 私が、発達障害の可能性を考えて、病院を受診したのは、30代になってからです。当時、私は、クラウドソーシングを活用しWebデザイナーとしてフリーで仕事をしていました
精神障害完全在宅勤務茨城 -
- 障害者アスリート採用で転職。競技に集中できる環境と、引退後のセカンドキャリアを手に入れました
- 私が、はじめてスノーボードをしたのは短大生のとき、1998年開催の長野冬季オリンピックがきっかけです。オリンピック競技として初めてスノーボードが登場し、それを見て、
身体障害アスリート -
- 1度目は週20時間の時短勤務、2度目は完全在宅のフルタイム勤務で転職。どちらも無理のないはたらき方を選択できました
- 私はdodaチャレンジには2回、転職活動を支援していただきました。もともと学生のころから疲れや季節の変化で体調を崩しやすいタイプでしたが、社会人生活を始めると、仕事の忙しさやストレスで眠れなくなるなど
精神障害完全在宅勤務時短勤務 -
- 受傷後、家具デザイナーから人事職にキャリアチェンジ。群馬在住で、大手企業にフル在宅勤務の転職を実現
- 今、私は、家族とともに毎日を過ごせていることや、やりがいを感じながら仕事に取り組めていることに感謝し毎日を送っています。このような日常は、
身体障害完全在宅勤務群馬 -
- 48歳での転職。約1年の転職活動を乗り越えて、自分のスキルを発揮できる職場に出会いました
- 私が障害を発症したのは40代前半で、抗がん剤治療薬の副作用が原因でした。その頃、私はコンピューターオペレーターとして派遣会社で仕事をしていて、人員不足による業務過多の日々でした
身体障害京都 -
- 社会人になって分かった軽度の知的障害。「自分にできること」を仕事にしてから、やっと自分に自信が持てました
- 私は、dodaチャレンジの転職支援サービスで入社した今の会社の前に、5社経験をしているんですが、いずれの会社も長く続きませんでした。仕事内容も、販売、事務、工場での製造などで、経験もばらばらです
知的障害滋賀 -
- 2回の転職支援で「はたらく」をより良いものに。マイノリティである自分の体験を100%キャリアに反映することができました
- 私は、高校時代にアメリカ文化に興味を持ち、海外に憧れるようになりました。私が生まれ育ったのは田んぼばかりの田舎町で、当時学校も友人も、留学の情報など全くない環境でした。
身体障害LGBTQ -
- 大学4年生の夏に就活再開。障害者雇用枠で「デザイナーになりたい」という夢を叶えました
- 私は、片耳に先天性の聴覚障害がありましたが、高校まで普通校に通い、学校にも友達にも聴覚障害があることをオープンにしていました。放送が聞こえづらかったときはメモで教えてくれたり、
身体障害新卒 -
- 就活が思うようにいかなかった―。大学卒業後アルバイト生活を経て、29歳で大手企業に就職
- 私は、絵を描いたり、写真を撮るなど、表現活動が好きです。絵や写真の仕事をしていた母の影響が大きいと思います。物心ついた頃から、いつも楽しく絵を描いていましたし、母のカメラで写真をよく撮っていました
知的障害大阪 -
- バリアフリーな街づくりに関わる仕事を。就職活動中の実体験で感じた思いを軸に、第一志望の企業に入社
- 私は、比較的早い時期から就職活動への意識がありました。大学の就職課からも、「インターンシップは早期選考に繋がるから参加するように」と後押しいただいていました。
身体障害新卒 -
- はじめてASDと診断された40代。自分の特性に合った職場に転職したことで余裕がうまれました
- 私は、学生時代、クラスにはあまり馴染めなかったのですが、中1で始めた吹奏楽部の活動を心の拠り所にして過ごしていました。担当の楽器はフルートです
精神障害大阪 -
- ひとりで頑張らないことが大事、頼れる人のアドバイスで見つけた時短勤務というはたらき方
- 現在の私のはたらき方は、時短勤務制度を利用し、週5日、9時~16時ではたらいています。入社して1年になりますが、時短ではたらくことは、私にとって、とても良い選択だったと感じています。
精神障害時短勤務 -
- 熊本在住の私が、フル在宅勤務で東京のIT企業に転職。スキルを活かせるSE職との出会い
- 私が社会不安障害を発症したのは、10年ほど前になります。あるIT系人材派遣会社で勤務していたときでした。システムエンジニアとして、クライアントに説明したり、折衝する場面で、人前で話すことがとても辛く
精神障害完全在宅勤務熊本 -
- 「挑戦」する価値観を大切に、障害者雇用枠に絞った就職活動で長所を活かした就職に成功
- 私は、生後すぐに下肢障害を受傷し、小学校は普通校の支援学級に、中高は特別支援学校に通学しました。中学進学前ぐらいから勉強が難しいと感じて、苦手意識を持つようになっていましたが、そんな私が大きく変わったのは、ある先生との出会いがきっかけでした。
身体障害精神障害新卒 -
- 障害者職業能力開発校でITスキルを学び、大手企業の新卒入社を実現
- 私の障害は、感音性難聴ですが、小学生の頃から、ろう学校ではなく補聴器をつけて普通級に通学しました。月に1~2回、母と一緒にきこえの教室(難聴学級)に通い、聴覚管理と言葉を聞き取る言語学習なども行ってきました。
身体障害新卒 -
- 50代でうつ病を発症し、休職、転職、再発。安定就労を求め、第一希望である特例子会社に転職
- 私がうつ病を発症したのは、50代に入ってからでした。原因は過労によるストレスです。大学卒業後は、金融業界の団体職員、家業の経営などを経て、インフラ関連の会社に15年勤めている間に、発症しました。
精神障害 -
- 大学3年で双極性障害を発症。就職活動は障害者採用枠でと決断し、第一志望の研究職に内定
- 子どもの頃から、工作や絵を描くことが好きで、中学卒業後は高専に進学し、大学は3年次で編入、土木工学を専攻しました。オープンキャンパスで先生方のお話が楽しく、とても印象が良かったからです
精神障害新卒福岡 -
- 週4日勤務で身体の負担を減らす。あと40年、長くはたらき続けるための時短勤務を選択
- 機械系のエンジニアとしてはたらいていた22歳の私は、その頃、残業が多く疲労していました。そして、バイクでの通勤途中、交差点で左折車と接触する巻き込み事故に遭ってしまいました。
身体障害時短勤務大阪 -
- 1日4時間勤務からステップアップ。時短転職に成功し、無理のない就労継続を叶える
- 飲食会社の前職を退職した理由は、コロナの感染拡大による業績不振です。パートタイム社員として従事していましたが、仕事が減り新しい仕事を探し始めました。私には持続性気分障害があり、疲れやすいということもあって、主治医と相談して、
精神障害時短勤務 -
- ブランクを経て週3日の時短勤務で再就職!「扶養内ではたらく」という選択
- 今から2年ほど前、私は病に倒れ、進行した大腸がんと診断されました。コロナ禍でしたが幸いにもすぐに手術することができ、人工肛門となりましたが、一命を取り留めました。前職は退職し、リハビリと抗がん剤治療をしてから、家族の元へ帰りました。
身体障害時短勤務 -
- 私にぴったりの会社に出会えた!フル在宅勤務で、心臓障害がある私も安心してはたらいています
- 心臓障害1級の私にとって、フル在宅勤務はベストなはたらき方です。コロナ感染のリスクが高まる通勤や出社がないので、安心してはたらくことができるからです。実際、主治医からは、「コロナに感染したら命の保証はできない」と言われていますので、
身体障害完全在宅勤務仙台 -
- HIV感染をオープンにして、理解ある会社への転職。未来に向かって未経験の職種にチャレンジ
- 私は、中学に入ってすぐに不登校となり、そのままひきこもる生活を送っていました。学校の友達とうまくいかなかったんですね。ですので、中学校にはほとんど通えていませんし、中学を卒業した後も1年ほどひきこもっていました。
身体障害LGBTQ -
- 未経験の業界で契約社員から正社員にキャリアアップ。毎日新しい仕事にわくわくします
- 私は、短大を卒業後、交通会社に就職し、旅行販売部門の契約社員として、接客や旅行関係の窓口業務を担当していました。はたらき始めて4年経った頃、体調に異変を感じたのですが、忙しくしていたので、最初は、疲れだろうと思っていました。
身体障害北海道 -
- 車椅子通勤によるストレスがなくなった。「リモートワーク」推進の流れにのって、福岡在住の私が東京の企業に転職を実現
- 前職には20年以上在籍し、スーパーマーケットの売り場から本部での管理部門まで多岐にわたる業務を経験しました。現在勤める医薬品メーカーとは異業界なのですが、前職で培った物流管理業務や受発注業務のキャリアが活きています。
身体障害福岡 -
- ジョブ型雇用で、20年のキャリアを活かせる転職を実現
- 前職には20年以上在籍し、スーパーマーケットの売り場から本部での管理部門まで多岐にわたる業務を経験しました。現在勤める医薬品メーカーとは異業界なのですが、前職で培った物流管理業務や受発注業務のキャリアが活きています。
身体障害LGBTQ -
- 視覚障害の診断から、興味があった医療系財団法人の求人との出会い、そして転職に至るまで
- 私は、30代になるまで、視覚障害があることを自覚せずに過ごしていました。前職の会社で受診した健康診断がきっかけで、先天性の網膜色素変性症であることが分かりました。それまで日常生活で支障はなかったので気づきませんでしたが、
身体障害大阪 -
- 大学中退・社会人経験ほぼゼロの私が、大手独立行政法人に就職!
- 小学校は普通級に通いましたが、放課後は特別学級で過ごしていました。母の話では、子どもの頃は、学校からの呼び出しもよくあったそうですが、私自身は周りの友達との違和感はありませんでした。その頃から服薬していたので、状態が安定していたのだと思います
精神障害身体障害大阪 -
- 障害があることは個性、自分の可能性を広げるチャレンジを続けたい
- 私が、ADHDと診断されたのは、就職して3社目となる前職に勤めているときで、それまで自分の障害特性に自覚はありませんでした。ですが、大学で就職活動をしていた頃、大きく体調を崩し、緊張していたり周囲に人が多いときなど音がこもって聞こえてしまう病気になりました。
精神障害大阪 -
- 就労移行支援事業所「ミラトレ」に10ヶ月の通所後、dodaチャレンジに登録。転職活動1ヶ月で希望の外資系企業へ
- 私がうつ病を発症したのは前職で勤務していた頃、交通事故に遭ったことが発端です。ある日の夕方、横断歩道を渡っていたところに自動車が衝突してきました。その車は、
精神障害神奈川LGBTQ -
- 障害者採用枠での就職を選択。専門の就職エージェントとともに、苦手なマルチタスクを乗り越えました
- 私は、美術大学を卒業し彫塑を学びました。子どもの頃から、手を動かして立体を造ることが好きだったんです。きっかけは小学校の頃、通っていた造形教室です。6年間続けましたが、最初は、ものすごく抵抗して嫌々通っていました。
精神障害新卒愛知 -
- 長い苦しみからの脱却。ADHDと診断されてから、前を向いて転職活動を始めることができました
- 大学では経済学を専攻しました。また、軽音楽のサークルに入り、私はベースを担当しました。気の合うバンド仲間と楽しく過ごす一方で、今振り返ってみると、大学時代にもADHDの特性が表れていたと思います。例えばアルバイトが長続きしなかったのが、その一つです。
精神障害 -
- ダイバーシティを推進しているかの見極めは、一人で行う転職活動では難しい。プロと一緒だから安心でした
- dodaチャレンジに登録して転職が決まるまでにかかったのは1ヶ月くらいでした。早く決まったことも良かった点ですが、一番は、「障害を含めた多様性への理解と配慮」のある職場が見つかったことでした。私の他にも障害のある社員もいますし、また外国籍の社員も多く、多様性は当たり前の職場なんです
身体障害岐阜 -
- 社会は変わってきている、多様性を受け入れる企業が増えていると実感します
- 今、私はコンサルティングファームに勤務し、社内のドキュメント作成や管理などの業務を担当し、精神障害があること、LGBTQ当事者であることをオープンにしてはたらいています。採用面接の場で「自分はXジェンダーである」と伝え、社内のダイバーシティ活動やコミュニティにも参加するなど、入社して間もないですが、社風や企業文化を気に入っており、上司との関係性も良好です。良い転職ができたと思っています
精神障害LGBTQ -
- キャリアアップのための転職活動。聴覚障害の私が大事にしたのは情報保障が整った環境であること
- 先天性の感音性難聴ですが、幼稚園から中学校までは一般の学校に通っていました。また小学校卒業まで地域のソフトボールクラブに所属していました。小さい頃から耳が聞える人たちとの交流や接触は多かった方だと思います。小学校時代はロマンを感じて歴史にはまり、中学に入ると一転、パソコンへの好奇心からコンピュータ部に入部しました。小さい頃からゲームが好きで、
身体障害 -
- より多くの就職・求人情報が必要―。コロナ禍の就活、大きな転機となった障害者専門の就職支援サービスの利用
- 私が就活を意識するようになったのは大学1年生のときです。将来に向けてパソコンスキルを習得しようと考え、視覚障害専門の就労移行支援事業所に通い始めました。パソコンは盲学校のときから使用していましたが、ビジネスで役立つレベルではなかったので、就労移行支援事業所でWord、Excelを身に着け、ビジネス文書の作成ができるまでになりました
身体障害新卒 -
- 転職活動期間10ヶ月、語学と海外就労キャリアを活かせる転職先が見つかった。発症から転院、社会復帰まで
- アメリカの大学を卒業後、しばらくインドではたらいていた私は、日本に帰国後、製薬会社に就職しました。インド法人傘下の日系企業で、私のインドでの就業経験や英語力が評価され、経営企画部に配属されました。担当業務は、親会社のインド法人との架け橋として、予算管理や予算立案、稟議書の翻訳など経営中枢に関わるもので、
精神障害大阪 -
- うつ病発症から7年、地元北海道で人生を再始動。向上心をもってはたらける喜びを実感しています
- 大学卒業後に入社した鉄鋼メーカーでは、営業や生産管理を任されていました。責任は大きくやりがいを感じ、仕事に打ち込んでいました。当時の会社や上司には、育ててもらったという感謝の気持ちが大きいです。しかし、残業は月100時間を超えることもある環境下で、気づかないうちに少しずつ心身に負担がかかっていたのだと思います。
精神障害北海道 -
- コロナ禍での転職。地元兵庫で50代という不安の中でのチャレンジが「自分の可能性」を広げました
- 今回の転職に踏み切るには正直不安がありました。50代で転職回数9回目の私が、コロナ禍において転職先が見つかるのかと。これまでハローワークを利用し求職活動していましたが、それだけでは情報不足感を感じ、インターネットで「障害者 雇用」と検索して、求人や市況を調べました。
身体障害兵庫 -
- 聴覚障害にも、子育て時短勤務にも、理解のある会社に就職できました!
- 私は、保育園から高校までは普通学校に通っていました。難聴学級がなかったので、地域ボランティアのサポートや先輩・友人の協力を得ながら通級で学びました。また大きなイベントがあるときは、手話通訳者のお世話にもなるなど、両親をはじめ様々な方の支えで、私は、子どもの頃から同世代の健聴者との交流をしていました。
身体障害時短勤務 -
- 不安だった車椅子での就職活動を乗り越え、大手企業に新卒入社。プロの就職支援で気付かなかった自分の能力が開花
- 私は専門学校1年生のときに発病し、休学ののちに中退、その後1年間のリハビリを経て、就職活動をはじめました。仕事経験ゼロでしたので、納得のいく就職先が決まるのかと不安は大きかったです。そのため、ひとりで就活をするより、プロと一緒にはじめた方が、より多くの企業情報が得られるのではないかと考え、
身体障害完全在宅勤務新卒 -
- 完全在宅勤務・フルリモートというはたらき方で仕事を始めて3年。自分に合ったはたらき方との出会い
- 配属された部署は、リサーチ業務、データ収集など多岐にわたるバックオフィス業務を行っており、入社当時から、すでに完全在宅勤務ではたらく社員やアルバイトが在籍していました。今は精神障害や身体障害など、さまざまな障害のある社員がほとんどで
精神障害完全在宅勤務 -
- 転職後に統合失調症の再発。休職、復職から半年後に正社員に
- 私が最初に統合失調症を発症したのは、今から4~5年前。発症から社会復帰まで2年の期間があり、その後、ハローワークを通じて派遣会社に就職しました。障害者採用枠での就職でしたが、実際に配属された職場は、障害のある社員を受け入れる風土や理解があまりなく、長く続けていけそうにないと悩んでいました。
精神障害愛知 -
- アパレルから事務職へ。「長く安心してはたらく」ために障害をオープンにして福岡の大手企業に転職
- 先天性の心疾患で、3歳のときに手術をしました。日常生活に問題はなく、体育の授業で持久走など運動制限されることはあっても、高校まで友達と変わらず学校生活を送ってきました。高校卒業後は、憧れていた服飾関係の専門学校に進学
身体障害福岡 -
- 地元仙台・未経験から事務職へ転職を実現。障害者採用枠ではたらくという選択肢
- 私は音楽が好きで、高校卒業後は、大手CDショップチェーンに就職をし、接客販売やPOP製作など売り場づくりの仕事をしてきました。先天性の視野狭窄の障害がありますが、接客販売の業務では
身体障害仙台 -
- LGBTQ当事者であり、精神障害を抱えてきた私が、転職で人生を大転換。社会を変える、これが私の使命
- 私は、幼稚園の頃から「周りとの違和感」による「生きづらさ」を感じていました。その違和感や生きづらさは何なのか?自分自身のことを知りたくて、大学では心理学を専攻し、
精神障害LGBTQ -
- 統合失調症の私が入社6年目。発症から転職、長期定着に至るまで
- 私が、統合失調症を抱えながら、長期就業できている理由は、3つあります。自分をよく見せようと無理をしないこと、焦らないこと、疾患を理解してくれた方々に恵まれたことの3つです。特に、周囲の理解に恵まれたことは大きかったと思います。
精神障害 -
- 周りに理解されづらい視覚障害で、無理を続けた10年からの脱却
- dodaチャレンジに出会うまでの私は、障害者採用枠というものがあることも知らず、障害があったら仕事がない、仕事は選べない、そう思い込んでいました。そのため、ここ10年以上、障害のある自分の体に無理を強いながら仕事を続けていました。
身体障害愛知 -
- 「安心して長くはたらける職場を見つけましょう」の一言で安心、諦めずに転職活動できました
- 私はうつ病を発症後、2度の転職をしました。1度目の転職では、ある転職エージェントで紹介いただいた一般採用枠の学習塾講師の仕事に就きました。土日休みの契約社員という条件に魅力を感じ入社したのですが、1ヶ月も経たないうちに、出社できる状態ではなくなり、入社2ヶ月目に退職してしまいました。
精神障害大阪 -
- 転職を諦めないで良かった。自分に合った企業は必ず見つかる
- 私は、中学2年から卒業まで不登校で、フリースクールに通学しながら高校を受験しました。高校では友達もでき、楽しく学校生活を送り、卒業後は大学で経営学を学びました。学生時代は、ビンゴサークルやパソコンサークルに所属し、またスーパーの精肉部門でアルバイトを4年間続けました。
精神障害愛知 -
- 「自分の生き方」は「自分を大切にすること」
- 私は、もともとこだわりや責任感が強いところがあり、うつ病を発症した経緯も、仕事の多忙によるストレスが原因でした。初めは、自律神経失調症で婦人科に通院していましたが、家族の病気と重なったことで心身の負担が大きくなり、ある日突然、体が動かなくなってしまいました。
精神障害大阪 -
- 自分の特性を理解してくれる、はたらきやすい職場へ
- 私がアスペルガー症候群の診断を受けたのは、24才のときでしたが、小学校の高学年頃から、人づきあいが難しいと感じていました。1対1で話をするのは、それほど大変ではないのですが、3人以上集まると会話の中にどう入ったらいいか困ったり、友達と話をしていても話題に苦労したりしました
精神障害仙台 -
- つらいなら、我慢しないでいい。幸せな職場は見つかります。
- IT企業内にある社員向けカフェで接客の仕事をしています。障害がある社員が運営するカフェで、「ひだまりカフェ」と言います。普段はカジュアルな服にエプロン姿で仕事をしていますので、この取材の写真から受ける私の印象とは違うかもしれませんね。
知的障害 -
- 【座談会】重度視覚障害者が語る転職成功のポイント
- 視覚障害者だからこその転職や就職の不安について、座談会を行いました!
特別企画 -
- 最適な転職ができたのは、親身になってくれたキャリアアドバイザーのおかげです。
- 現職に転職したのが2017年8月なので、8ヶ月が経ちました。主に財務経理を担当しておりますが、徐々に私に期待されていること、やるべきことが明確になってきました。自分で判断できる裁量範囲も広がり、改善策に着手するなど、会社に貢献できている実感や手ごたえを味わい始めています。
身体障害 -
- ネガティブな自分から、ポジティブな自分に変わりました。
- 私が、今の職場に転職して1年3ヶ月が経ちました。私に任されている主な仕事は、勤怠の確認、明細書の作成、保険証などの発送業務です。職場ではいろいろな人と関わりを持って仕事をしていますが、周りから認めてもらえることが嬉しく、やりがいにつながっています。自分でも、「成長した」「心に余裕が持てるようになった」と実感します。
知的障害 -
- 今、私は幸せになっています!新しい生き方を選択して良かった。
- 私が、統合失調症を発症したのは30歳のときでした。仕事とプライベートでいろいろな状況が重なったことがきっかけとなり、幻聴幻覚の症状が強く現われ、統合失調症と診断され、入院は3カ月間に及び、障害者手帳を取得したのは、このときです。これまで、一般の採用枠でコールセンターの仕事や不動産や証券、携帯電話の営業などの仕事をしており、大学卒業から30歳までの間に5回転職をしました。
精神障害 -
- 入社するときの入り口が違うだけ、職場で違いはありません。
- 今の職場では、自分の得意な仕事ができ、周りの方からの刺激も多く、本当に居心地が良いです。30代半ばを超えて、ようやく自分の人生が始まったと実感しています。私は、典型的な発達障害の特性を持つと思うのですが、13歳頃から診断を受けた33歳頃まで、自分の人生に対して、「何かが違う」と違和感がありました。
精神障害 -
- 34歳でADHDと診断。自分らしく生きる上で必要な診断だった。
- 私は人と会話したり、人と接する仕事が好きです。現職の仕事(総務)は、いろいろな部署の社員の方と関われるので、やりがいを感じています。ルーチン業務だけでなく、少しずつ仕事の領域を広げていき、ITパスポートや基本情報技術者の資格取得を目指し、スキルアップを考えています。
精神障害 -
- 最高の伴走者と出会い、 個性を活かす職種に就けました。
- 私が注意欠陥・多動性障害、ADHDと診断されたのは、18歳のときのことです。子どもの頃から飽きっぽく、整理整頓が苦手で忘れ物が多かったりしましたが、勉強はできるほうでしたし、多動の部分が少なかったため、周囲にはそれが障害とは思われていませんでした。
精神障害 -
- 障害の有無に関係なく、自分の納得のいくキャリアを築いていきたい。そんな私の希望が100%叶いました。
- 私は空港・ターミナルサービス会社でのサービスアテンダントでキャリアを始めたのち、大手英会話学校での学校運営業務全般、ゼネコンの海外支店での経理など、さまざまな会社・職種を経験してきました。
身体障害 -
- 不安を乗り越えて踏み出した一歩は、 新しい自分につながっていた。
- 私は高校卒業後、大好きなバイクに関わる仕事がしたかったため、バイク用品店に勤めていました。友人の紹介からアルバイトをはじめ、正社員にもなりました。仕事自体も楽しく、勤めることができていたのですが、その職場は残業も多く、給与はいつでもギリギリの状態。
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